問題が起こる。
不幸な気持ちになる。最悪の気分になる。
心はその問題を解決せねば!とあせる。
心はその問題が解決さえすれば、今の不幸な気持ちは消えて、幸せになれるとおもっている。
そして奮闘する。
そして、、、やがて解決する。
いや、私の場合は、奮闘しなくて、解決した。
静かにしてたら、勝手に解決してた。
どっちでもいいや。
そう。問題が解決する。
すると、一瞬だけ不幸が消える。
ああ、よかった。。と安堵する。
だがそれだけだ。
その問題が解決したあとは、幸せでもなんでもない。ただの日常が続いていくだけだ。
そんな問題はなかったかのように。
そしてまた「問題」は発生する。
それを解決しようと躍起になる。
この問題さえ解決できれば、私は幸せになれるのだ!と。
そして問題はやがて解決する。
それで、幸せになったか。
べつに。
銀行からお金がおろせかなった。あせる。
これからあそこからおろせなかったらどうしよう!
あのお金さえおろせれば、私は幸せだ!と、おもう。
しかし後日簡単におろせた。
で、心は幸せになったか?なってない。
別の通帳にお金を入れる。そこでお金が増えると想像する。心はうれしがる。
で、入れる。
心はうれしがったか?べつに。
このまま行くと、お金が10倍に増えても、増えるまえにうきうきするだけで、実際増えたら、ふつーになるんだろうな。きっと100倍になっても。
とゆーことは、わしは、こうなってくれたら幸せというものは、つかんだとたん、ふつーになっちゃって、いつまでも幸せ感をつかめないじゃないかー。
スーパーでおいしそうなケーキをながめる。
食ったらうまかろうなーとよだれがでる。
でも、たとえばそれを買って、食ってる最中も、
太るかな?とか、
これ、いっぱい保存料入ってるんやろな。
カラダに悪いかな。。?
とか、色々考えちゃってる。
100%、あー幸せ♥とはならない自分に気がつく。
問題が解決したら幸せ♥
お金が入ったら幸せ♥
ケーキ食べたら幸せ♥
すてきなところに行ったら幸せ♥
いい本が手に入ったら幸せ♥
なになにしたら幸せ、という条件付きの幸せが、意味を失っていく。
どれを手にしても幸せがない自分に気がついていく。
人は「幸せ」を感じたいために、問題を探しているんじゃないか?
それを乗り越える幸せ、達成感。ゲットできたぜーというその時の絶頂感。
でもそれもまた過ぎ去り、また新たな幸せ感を求める。
たら幸せ♥は、
本当の幸せじゃないのかもしれない。
絵:「アイドルと病」/MF新書表紙イラスト
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