川の音を聴く。
あたまの中の声を聴く。
川の音は聞き流す。
でも頭の中の声は、聞き流せなくて、その声に乗っかる。
なんで?
それは「言葉」だから。
でも言葉も「音」なのにね。
「か、わ」という二つの違う音なのに、
人はその音を聴いて、川をイメージする。
時には靴をイメージするかもしれないが。
どっちも聞こえる。
けどあたまの中の音は、意味をもつ。
川の音には意味がない。
だから意味がある方に気がとられる。
外から「ばかやろう!」と、音が聞こえたら、
そくざにそこに耳を傾ける。
外から「ザーザー!」って、聞こえても、
ん?ておもうけど、
「雨か」といって、それを聞き続けることはしない。
ひとは「ことば」に気を取られる。
頭で鳴っているだけの音に、意味をもたせる。
そこに世界を広げる。
目の前にはパソコンの画面が見ええているだけなのに、
明日のことを思い煩い、
今どこかにいるだれかさんのことをきらっている。
あたまの中で、ただ鳴っているだけなのに。
あたまの中で、浮かんで来ただけなのに。
それが真実のように思えて、その中に入り込む。
川の音は聴かない。
頭の声は聴く。
そうやって、頭の中の声と戯れ続けている私たちがいる。
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