2017年11月22日水曜日

あたまの中の音を聴く



川の音を聴く。
あたまの中の声を聴く。

川の音は聞き流す。
でも頭の中の声は、聞き流せなくて、その声に乗っかる。

なんで?
それは「言葉」だから。
でも言葉も「音」なのにね。

「か、わ」という二つの違う音なのに、
人はその音を聴いて、川をイメージする。
時には靴をイメージするかもしれないが。

どっちも聞こえる。
けどあたまの中の音は、意味をもつ。
川の音には意味がない。
だから意味がある方に気がとられる。

外から「ばかやろう!」と、音が聞こえたら、
そくざにそこに耳を傾ける。

外から「ザーザー!」って、聞こえても、
ん?ておもうけど、
「雨か」といって、それを聞き続けることはしない。

ひとは「ことば」に気を取られる。
頭で鳴っているだけの音に、意味をもたせる。
そこに世界を広げる。

目の前にはパソコンの画面が見ええているだけなのに、
明日のことを思い煩い、
今どこかにいるだれかさんのことをきらっている。

あたまの中で、ただ鳴っているだけなのに。
あたまの中で、浮かんで来ただけなのに。
それが真実のように思えて、その中に入り込む。

川の音は聴かない。
頭の声は聴く。

そうやって、頭の中の声と戯れ続けている私たちがいる。




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