2015年2月11日水曜日

「のんき」か「深刻」か



やまんばはかんがえた。
深刻に人生を生きるのと、のんきに人生を生きるのと、どっちがいいか。
数ある情報の中で長寿のジジババがいうことばのキーワードは「のんき」である。
どーも「のんき」が長寿でケンコーのひけつのよーなのである。

ははは。のんき?
そりゃ、のんきに生きるがいいに決まってるさ~。

と、おもうのだが、そうことは簡単じゃない。
いざ出来事が起ってみると、「げ!やばい!」となるのがおちである。深刻になってんじゃ~ん。

出来事が起ると、瞬時に「これはいいことか。わるいことか」と判断し、カラダが凍りついて「やばい!」という。「これはわるいことである!」と判断したがゆえに、自動的におこってしまう心とからだの反応なのであーる。
「のんき」でいることは、そう簡単なことじゃないようだ。


砂漠のど真ん中で方向を見失って暑さとのどの渇きの中で途方に暮れていると、主人公が、ペットボトルに残った残り少ない水を頭からかぶって「あ~、気持ちいい!」と言った。それを見た彼女がびっくりして「もう飲み水がないのよ!どうしてくれるのよ!」と怒った。
むかし見たドラマのシーンがいつも頭に残っている。

漂流した船の中で生き残った人、タイガの森の中で11日間生きていた少女、実際起った出来事で彼らに共通するものがあるような気がする。物理的に水があるとかないとか、暖をとるとかとらないとかよりも、もっとおおきななにか。それは意識じゃないだろうか。



ドラマの二人の主人公、のんき野郎と深刻野郎。この対照的な二人の心とからだのエネルギーの消耗の仕方はまるでちがう。
深刻になればなるほど、エネルギーはみるみる消耗するに違いない。
先のことを考えないで、今気持ちいいことをした主人公はどうだろうか。心配事がないのでエネルギーは温存される。いやむしろ増えているかもしれない。


深刻でいると、心はあれやこれやと考えうるさい。心は自分で考えてなんとかしようとする。でも考えて出てくるのは、たいてい消極的な後ろ向きな解決法。やまんばはいつもそうだった。自分をぎゅっと小さくさせるような、ガマンを強いるような、人の目を気にするような、つまんない方法論。そういう解決法を見つけると、ぎゅっとからだが堅くなるが、心は「そうしなければいけないんだ」と、自分に言い聞かせている。自分で自分をだましていく。
するとほどなくして、「え~い!こんなんやってやれるかいっ!」って、ひっくりかえしちゃうんだ。

ほんとは心はもっと他のことを望んでいる。
人の目を気にし、常識とやらを気にしている自分、じゃない自分。

「のんき」は、それをうながしている。
「のんき」は心が静かでおだやか。
起った出来事をそのままにして、ほほに触れる風を感じ、空気の匂いを感じ、今そこに存在する自分を受け入れる。
自分本来を教えてくれる声はほんとうにちいさい。ふっと瞬間に訪れる。「えっ?。。」と。
その声をたよりに生きたら、ステキな何かが展開される。

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