2014年10月3日金曜日

海水と淡水が混ざり合うところ



畑が変わりはじめている。
夏頃オクラ、ピーマン、キュウリ、ナスなどもうへにゃへにゃで、お話しにならなかったのに、このところみんな元気だ。

秋野菜のミズナ、壬生菜、白菜、ダイコン、カブ。みんな順調にすくすく育っている。いつもならコオロギに食われたり、小さな苗は白くなって枯れてしまったりして大半は消えていったというのに。畑が変わったのか。それともやまんばが変わったのか。

やまんばがかわったというのはある。
なんか心持ちが変わってきたのだ。
いままでは、「育つか、育たないか、どっちなんだ。おいっ!」って感じで、野菜が育つのを「監視」していた。

大か小か、多いか少ないか、育つか育たないか。この二元論の中で四苦八苦していた。そしてネガティブな結果を怖れて、なんとかしようとやっきになっていた。
育たないのは自分のせい、少ないのは自分のせい、小さいのは自分の責任だ。そうおもって、あれこれやって結果が出せないことを憂いていた。

今、それがない。
「あ、育ったのね。がんばってねえ~」
「あら、枯れちゃったのね。あっそう」
こんな心持ちだ。
どっちにころんでもいいかあ~ってなかんじなのだ。

なんやろね。
これがサレンダー(降参)ってヤツ?

今まで結果は自分のせいだって思ってたのが、
「植物さんのご都合にあわせよう」ってなかんじ。
だからどんな結果でも良くなっている自分がいる。
なんだか自由な気分になっちゃって、余裕で野菜の様子を観察できるようになってきたんだ。すると、「あ、いま酸欠になってる。空気がいるな」とか、ここはもう草マルチはいらないかも。。とかかんじている。頭じゃなくてなんかかんじている。それで感じるままにやっているかんじ。

畑だけじゃない。
色んなことに、二元論をテーブルの上に並べて、それを上から見ている感じがする。

これまでは、どっちがどっち。こっちがいい、あっちじゃなきゃいや、みたいなどっちかにいるって感じだったんだけど、今はそれを「はは~ん。そのどっちも自分のなかにあるのね」と気がついて見ているようなそんなこころもちだ。

自分の中をさぐると、もっと深い自分の中があって、それがもっともっと深い自分とのつながりを教えてくれている。
ちょうど海水と淡水が混ざり合う地点に立っているような、ここから根源的な本来の自分に触りはじめているような、そんなかんじがする。

きっと意識の浅い部分では、ほとんどが今回生まれてきた時に外から教えられてきた二元論の観念で出来上がっている。しかしそれを掘り下げていくと、その奥の二元論とはちがう宇宙の真理に近いものにさわりはじめるのではないか。二元論ではない視点で物事を見はじめると、心持ちがニュートラルになっていく。


こころがニュートラルに近くなると、植物はその本来の力を発揮しはじめるのだろうか。
「ほんとはおれたち、すげえんだぜ。見せたろか。」
なんて畑の植物たちは言ってるように見える。


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