2008年11月26日水曜日

ナイフがナイフを呼んでくる



NYの友達に、へんなやつがいた。仮にビルと呼ぼう。
ビルはユダヤ人のいいとこのボンボン。親の金で株をやり、ひと財産あてたこともある。でも失敗して今はすっからかん。女優や俳優の運転手をしながら、次の一手を考えている。ふがふがとうるさいブルドックを連れて、よく私たちのドッグランにやって来ていた。

そんな彼が911のあと、とつぜんこなくなった。
「ビルのやろう、怖くなって今ごろベッドの下にもぐりこんで震えてるぜ」口の悪い犬仲間が言う。

案の定そうだった。ビルは、あれから世の中のすべてが怖くなった。一歩もアパートから出られなくなり、近所に住むおかあちゃんに、毎日ピザを運ばせていることを、風の便りに聞く。


ふしぎなことに、彼はいつも犯罪に巻き込まれていた。
「夜中、地下鉄に乗っているだろ。そしたら、みんなオレのところにやって来て、ナイフを突きつけ『金を出せ』って脅すんだ」
「そんな夜中の誰も乗っていない電車になんか乗るからよ」と私。
「違うんだ。まわりに人がいっぱいいても、なぜかおれんところにやってくる」
さっと腰から大きなナイフをとりだす。
「だからオレはこれで身を守るのさ」

私はその時、ナイフがナイフを呼んでいるのではないか?とおもった。
「あんたがそんなもの持ってるから、引き寄せられるように来るんじゃないの?そんなもの、捨てなさい」
「いやだ。これは高いんだから。捨てられねえ」
「じゃあ、おれが預かってやる」うちのダンナが言った。

ダンナはしばらくビルのナイフを預かってた。
刃渡り25センチくらいのりっぱなナイフ。これをいつもあいつはぶら下げているのか。カッターナイフの部類じゃねえぞ。まったくの凶器じゃねえか。簡単に人も殺せるぜ。ビルのナイフを二人で眺めがなら、このニューヨークがどんなに切迫感にあふれているのか、ビルの心を通して知るのだった。

「やっぱり返してくれ」
しばらくたってビルは言った。怖くておちおち街を歩けないというのだ。ナイフを持っているから心が落ち着くのだ。ナイフは彼の心の安定剤になっていた。

私はニューヨークの街をナイフなしでも歩ける。でもビルは丸腰で歩けない。この違いは何だ。心の平安はナイフで本当に得られるのだろうか。
いつも「脅される」と思って、ヒヤヒヤしていると、その思いは、「脅してやろう」と思っている誰かに伝達しはしないだろうか。ちょうど、ラジオのチューナーがあうと、音が聞こえるように。
「あ、あいつ、脅してほしいと思っているな」と、すぐ見つかっちゃう。で、たくさん乗っている人々の中で、彼を見つけ出す。


話が飛んじゃうけど、アメリカ人は、よく人の目線に気がつく。おもろい人だなあ〜と何となくなく眺めていると、必ずこっちを見る。おちおちニンゲン観察できない。
ウチのアパートのエレベーターが混んでいて、18階のボタンが押したくても押せないでいたとき、誰かが18階を押した。降りたのは私だけだった。あの時「あっ。18階!」って思ったのだ。そしたら、ふいに誰かの手が18階を押してくれていた。


そんなふうに、人の心や思いは、伝達されていくんじゃないだろうか。
それが宇宙の法則だったら?
いいも悪いもおかまいなし。恐怖は恐怖を呼び、笑いは笑いを呼ぶ。類は友を呼ぶっていうのも、同じ思いをしたモノたちが集まることじゃない?それは、まるで磁石のように引き合う力なんだろうね。

だからビルもナイフでもって、ナイフを引き寄せる。でもただ持っているだけじゃ、引き寄せない。ここに、「襲われる」とか「戦う」とかの恐怖の感情がのっかって、電波を発信するんだ。
で、いちゃもんをつけたい悪ガキたちが、その電波をキャッチするという寸法。


ビルは、この世は悪に満たされていると思っている。オレを襲うやつばかりがいると思っている。だから、ナイフがない事には耐えられなかったのだ。

その後、911がやって来た。
あれからビルに公園で会うことは、一度もなかった。

絵:『幕末テロ事件史』扉イラスト

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