2008年11月16日日曜日

畑開拓



最近、近所で荒れ地になっていた畑を友達と耕し始めた。
耕すというより、開拓に近い。5、6年も放置してあった畑は、まったくの自然に帰ろうとしていた。

篠竹が生え広がって、その上を葛のツルがおおう。まわりのケヤキや杉にも絡み付いて、畑と山の境界線がなくなっている。まるで一面うねうねとひろがった葛の葉のじゅうたん。一見そこがかつて畑だったなんて誰がわかろうか。かろうじて木が生い茂っていないことによって「ひょっとして前は畑...かな?」と勘ぐるぐらいだ。これじゃ誰も手をつけないはずだ。

さて「開拓」がはじまった。
固い竹を地面すれすれに切る。上におおいかぶさっていた葛の葉の5、6年分の枯れ草が頭の上に降ってくる。「ひえ〜」ほこりまみれになる。葛の重さで篠竹は弓のように曲がっている。
下を覗くと、篠竹の下には、別世界が広がっていた。暗い森の中にトンネルがあった。それはひたひたと続き、あちこちに枝分かれしている。その先には大きな穴。疲れた体をそこにうずめるにはちょうどいいお椀型をしている。そう、そこはけものの世界だった。
まるでトトロが住んでいそうなけもの道。そのトンネルは向こうの杉林に続いている。杉林の奥には大きなケヤキの樹がある。そこがトトロの住みかなのか?

友達の子供たちはわあわあいいながら、その中を駆け抜けていた。
私もやりたかった。ほんとは私が一番やりたかった。でも大人になってしまった私は、あとのめんどくさい作業を思い出してしまっていた。

近所に自然や動物をこよなく愛する友達がいる。私はイノシシやハクビシンたちの住みかを壊している。こんな現状を見たら、彼らはさぞかし嘆くだろうな。ひょっとしたら、恨まれちゃうかもしれない。ナイショにしておこう。
畑なんか作らなくても、私たちは食べていける現実がある。スーパーに行けばいくらでも買える。わざわざ彼らの住みかを侵してまでも畑は作ることはないかもしれない。けれども私は自然の中にニンゲンの領域を作ることとはどんなことなのか、自分の手で知りたい。自然から遠くはなれてしまった私の感覚は、昔の人の気持ちを知りたがっている。そんな気持ちがあっちに行ったりこっちに行ったりする。

そうこう考えながら篠竹と格闘するうちに、ほとんど開拓し終えた。

すると杉林の近くに古い墓石を見つける。
それらは横に倒れ、うずもれ、忘れられていた。まわりをイバラが覆い、まるで人を一切寄せ付けないかのようだった。腕や足にイバラが刺さり、ひーひーと痛い思いをしながらとりのぞくと、墓石が現われた。
横に刻まれた文字には、「文政」「享和」そして「宝暦」とある。なんのことやら。調べてみると、200年から250年も前の墓だった。近所のお年寄りに聞いても誰も持ち主はわからない。きっと子孫の畑を見守るかのように当時は立っていたのだろう。

この畑はまわりの土と違って、がれきがなく、ほくほくとしている。この墓の子孫たちががれきをいちいちふるいにかけていたにちがいない。大事に作っていた様子が分かる。まだ始まったばかりの開拓だが、土にほんの少し触っただけで、昔の人々の気持ちが少しつたわってくる。

「まっすぐ立ててきれいにしよう。そうすりゃ、なんかいいことあるさ〜」この開拓のリーダーの棟梁は言う。ここだけの話、彼はくせ持ちでまわりは大変だが、私は彼のそんな信仰心が好きだ。

さて、どうなりますことやら。

絵:COOPけんぽ表紙「あかとんぼ」

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