2023年8月9日水曜日

コース地獄巡りからの天国への道

 


私より1年遅れてコースを学び始めたうちのダンナ。


今まで気がつかなかった自分の罪悪感に触れ始め、かなり苦悩している。

私も「こんな本、見せるんじゃなかった、、、」と思ってしまうほどの凄まじいものだ。


あまりコースの地獄めぐりを書く人はいないのかも知れない。

どちらかというと優しく癒してくれるという印象を与える。


でも実際自分の心の中を見るほどに、自我がいかに私たちを振り回し、問題と苦悩を作り続けてきたことかと思い知らされる。それを完全に信じ切って、その中で必死で戦い続けている。


心の中にある自我の力動を知ることは、人によってそれはゆっくりと、恐れない程度にやってくることもあれば、かなりまとめて一気に押し寄せてくる場合もある。


でもそれはその人が心のどこかでそう願っているからでもあるのだ。



地獄の思いの中で過ごす人を間近で見るのは苦しい。

しかしその姿に対する私の反応は、私自身が持っている信念を否が応でも見せられる。



『彼を病気にさせた分離の感覚を癒すことが、あなたの任務である。

彼が彼自身について信じていることは真実ではないと、

彼に代わって認識することが、あなたが果たすべき機能である』(M、22、6ー7)




目の前に広がっている光景を、どうとらえるか。それが私にかかっている。


苦しみ、怒り、嘆く兄弟を見ている時、これを聖霊はどう見えるのだろう。どう見えますか?

心の中で聞きながらただじっとしていると、あることが起こった。


目の前で大騒ぎをしている兄弟は、本当の兄弟ではないという認識が来た。

それは両手を振り回すただの人影だった。


あぜんとした。なんだこれはと。

私が見ているものは一体何?


私たちの知覚は、なんとはかないニセモノをとらえているのか。


これは彼ではない。

真実の彼はその背後にいる!




その知覚の一瞬の変化を通して、少しづつ、今見えているものを疑いだした。


相変わらず目の前には苦悩する兄弟がいる。

でも私の心に真実はこれではないという確信が徐々に現れてきた。


そして問題が起こるたびに、自分自身が持っている信念に気がつき、

それを聖霊に渡し、訂正をお願いする日々。


兄弟の苦悩が、私を解放へと向かさせてくれるというこの驚くべき導きは一体なんだ。

兄弟を救世主と考える意味をここで身を以て知る。


そうしてだんだんと兄弟の話は真剣に聞くけれど、それを深刻にはとらえない私になっていく。


そして意図せずして私の口から出てくる言葉。

その言葉を通して、彼が何かに気づいていく瞬間に立ち会うダイナミズム。


これはもう、私にはできない機能だ。


動かされるままに、連れていかれるままに、

私はその聖霊の手に乗って行こう。




絵:「山越」










2023年8月5日土曜日

眠れない夜


 

今、町会の年表作りに明け暮れている。


先日アメリカの仕事が終わって、時間が空いたから一気に取り掛かった。

いつ次の仕事が入って中断されるかもしれないから、今やるしかない。


しかし難問は次から次へとやってくる。

一つの疑問「これ、何?」から始まって、「じゃあ、その横にあるこれは何?」


例えば、一つのお地蔵様からその横のお地蔵様への疑問、

そしてある日町会の方からいただいた物語に書かれた、そのお地蔵様の別の歴史。。。。

え?違うの?こうじゃなかったの?


この話、この人とあの人の言うことが違う。。。どっちが正しいの???


と、どんどん疑問が浮上。答え合わせに翻弄される。


この話、面白いんだけど、どこまで書いていいものか、書かないほうがいいのか。

書き方次第なのか。。。。


おまけに細かいオヤジに「これ、やっといたー!」と、お世話がやってくる(笑)。

「楽しみにしているよ」との励ましの言葉は、今の私にとっては単なるプレッシャー。


仕事のできるサラリーマンのオヤジの文章が、私を無言で攻めるように思えてくる。

こんな風に書かなければ説得力がないのか。

こうでなければいけないのか。。。

私の文章はまるで小学生じゃないか。。。

いやその前につじつま合わせが。。。。


ついに寝られない夜が続く。


「ああ、あれがダメだ。。

ああ、これも問題だ。。。

そうだった、あれもまだやれてない、、、

だいたいこんな書き方でいいのか、、、

何かとんでもないことをしでかしているんじゃないか、私、、、」

一晩中うなされる(笑)


夜中、窓を開けて、目の前の川風を感じる。

バシャバシャバシャ。

川の中を誰かが走る。鹿だ。最近よく出てくるようになった。

上に目をやると、真っ黒い山の稜線の上に満月。


そうか。。。

森だ。。。山だ。。。水だ。。。!


年表は人。人がどう生きたか、どんなことがあったのか。

でもその背後にはいつも自然があった。

これらに囲まれて人は生きてきた。

その視点から書こう。


オヤジの文章も正しいが、私の文章もまた正しいのだ。


年表作りはこれでいこう。


森、山、水。




絵:「山越」





2023年7月28日金曜日

ここにいていいよね?


 

苦しみの淵に落ちて行った時、私はそこに世界の苦しみを見た。

すべての人が、私とまったく同じ苦しみを抱えている。

そうわかった時、ひとつであるという意味の、ほんの少しさわりが見えた。


それからあまり人が怖くなくなった。

それでも人に怒鳴られたら怖い。

でも昔ほどは恐れなくなった。


近所に何かと意見をいうオヤジがいる。

彼もまた、恐れている。

自分の存在意義を必死で見つけようとしている。


「俺、ここにいていいよね?大丈夫だよね?。。。本当に?。。いて、本当にいい?」

彼の心が懇願している。


私たちは常に「何かをして」ここにいていい理由を見つけようとする。


しかしそれこそが恐れを増幅させている。

もっと何かをやって、もっとどうにかして、、、、、!

その叫びは、「俺を愛してくれ!」という心の叫びだ。


愛されていない。

愛される価値もない。

そう思うがゆえに、何かをやって愛してもらおうとする。

ただそこにいるだけじゃ、愛されないと信じている。

生まれた時は、ただそこにいるだけで、愛されていたというのに。


一体いつからこんなことになったのだろう。

苦しみは物心つく頃にすでに始まっている。

私たちは苦しむためにここにいると言っても過言ではない。


いや。そもそもそれがあるからここにいるのだ。



「いいよ。いていいんだよ。もちろんだよ」

オヤジの懇願に愛おしさを感じる。

心でそっと寄り添う。


私もそうやって生きてきた。

苦しさを紛らわせるために、自分の価値を認めてもらうために、必死だった。

でもそれにはキリがない。


果てしない苦悩への、果てしない解決を続けていくのか。

もうそれをやめるのか。


私は後者を選ぶ。



オヤジは私の一部。


オヤジの手をとって一緒に歩こう。




絵:MF新書表紙イラスちょ






2023年7月21日金曜日

愛を思い出す式典

 


この頃思うんだ。


お葬式って、とても悲しいことだけど、

一方で、愛を思い出す式典なんじゃないかって。



亡くなった人に対して、

あのときもっと優しくしておけばよかった。

もっとありがとうって言っておけばよかった。

もっとはっきりと愛しているよと言っておけばよかった。


そうして自分がそうできなかったことに悔いたり、嘆いたり、

そして自分に怒ったりしているんじゃないだろうか。

後悔で胸が張り裂けそうになる。

そんな思いを抱えている。


でもその思い、それ自身が、

その亡くなった人をどれほど愛しているかを表す証拠なんじゃないだろうか。

その愛の思いがあるからこそ、悔いて、自分を責めて怒るのではないか。


それは私たち自身がとても愛のある存在だということを思い出させてくれる。

そして楽しかったことを思い出し、
亡くなった人がどれだけ自分を愛してくれていたかも思い出す。


兄弟になんの愛も感じてなかったら、泣きも苦しみもしない。



後悔は愛のしるし。

でも後悔はしてもしてもそれが収まるところがない。


あのときもっとああやっていたら、、も、

それが納得できるというところまではいかない。


どれだけやっても悔いが残るのだ。

でもそれが愛のしるし。


そして亡くなった人は、その思いを、

そのまんま受け取ってくれている。


「愛しているよ」

と、その人の横で囁いてくれている。


姿は見えないけれども、その人はちゃんとそこにいる。

愛を持って、そしてその兄弟の愛を、

これ以上わかりようがないくらいはっきりと感じて、そこにいる。



もしそれが霊視できたら、なんと美しい光景なのだろう。


お葬式は、愛を思い出す式典だ。


互いが思いやる、純粋に愛を感じあう、そんな大切な時間なのだ。




絵:「天狗舞」




2023年7月16日日曜日

へえ〜そうなんだ


 先日、占ってもらった。

占いをしてもらいに行ったのは人生で2度目。


1度目は東京に来て間もない頃、

毎日つらい仕事に行く途中にいた辻占いの人。

いつか、ものすごくサイテーの状態になった時に

占ってもらおうと目論んでいた。

そしてその日がついにやってきた。


サイテー最悪の気分の時に、赤いぼんぼりの中で見てもらう。

「あんた。最悪の性格してるね。

男だったらまだマシだったよなー。女だからなあ。。。

あんたほど身勝手でわがままな女はいないよ。」

希望を与えてくれるかと思ったら、さらに追い討ちをかける。

そして確信を持って言う。

「あんた。10歳下の弟がいるでしょ」

「いません」

「ほらあ~。だからそう言う平気で嘘つくところが、最低なんだよ!

いないわけないでしょ!」


私の性格を最悪と連呼した上に、兄弟いないのに、嘘ついたと言って罵られる。

あまりの理不尽さにかえってなんだか元気が出た。


だが怖いのはその後だった。

田舎に帰った時、そんな話を振ったら、

母が「いたのよ。あんたの10歳下の弟が」

唖然とする。

しかも堕胎しただけなのに、なぜ男だとわかる。

かーちゃん、あんたこそ怖いわ。


そこまで見れる占いってなんなのだ?

じゃあ、やっぱし私って最悪の人間なんだな。




さて。奇しくも同じ街にいた(笑)占い師さんは、

とーっても可愛い女の人だった。

なんとなく自分の過去世を見てもらいたかった。


霊感のある友達や知り合いに「あんたの過去はコレ」

と何度か言われた。


正直言って

「それ、私が頭でなんとなく考えていることを読んだだけじゃないの?」

と思うフシがあった。


だから今回は静かに聞いた。

すると想像もしなかったことを話す。

へえ~、そうなんだ。

と、思った。


彼女が言うには、この地球上にはみんな平均して1000回は生まれ変わっていると言う。

そのうちの一個を取り上げてもらったところで、

「So what!?」なのだけれど、


その何百回、何千回という転生を聴くほどに

今この私の人生があまり重要でなくなる、

そんな気持ちになりたかったというのが本音だった。


だから「へえ~、そうなんだ」というのは、

私にとって求めていた感想だったのだ。




私たちは今この人生はものすごく重要だ。

この人生をどうやったら苦しみがないように生きられるか、必死で日々考えている。

でもそういうことを何千回も繰り返しているとしたら。。。


その位置に立ちたかった。


だから私が来世、違う人生を生きていたとして、

ある日占い師さんにこう言われる。


「え~。あなたは過去世、日本人でしたね。

女で、イラストレーターでした」


その時私はどう思うのか。

「へえ~、そうなんだ」

って思うだけじゃないだろうか。



同じことを繰り返している。

そのことに気づきたいと思う。



はっきり言って、私は1000回以上、

同じことで悩み、苦しみ、死んできた。


このことをなぜ繰り返しているのかを知ることは、

その人生を違う視点で見ることになるのではないか。


お金、体、健康、人間関係。

形は違えど、苦しみは全部同じ。


日本人だろうが、イタリア人だろうが、火星人だろうが、

そこにある価値観の中で翻弄されることに変わりはない。


その繰り返しから出よう。


罪という魅力的なオリから出よう。鍵はいつでもあいている。


全く違う心で、世界を見よう。


そう思えた。


ありがとう、可愛い占い師さん!




絵:「COOPけんぽ」表紙イラスト/エアーズロック