2010年7月14日水曜日

おジャガ、チョーすくな。





「オタク、入られた?」
「いえ、まだです」
「うちはもうこれで2回目よ。」
今年もまわりの畑にはイノちゃんが思いっきりやって来ていた。しかしウチには来ない。
「ほら、ウチはオタクみたいに、栄養たっぷりの大きなお芋じゃないから、見向きもされないんですよ〜、ほほほ〜」
などと、余裕かましてみょーに謙遜ぶっていた私。まさかそれが図星だったなんて。。。

今年3月に3種類の種イモ、メークイン、男爵、インカのめざめを買って畑に植えた。それから4ヶ月。上に伸びた葉っぱも枯れ落ちて収穫どき。嬉々としてほってみる。
。。。ない。
え?ジャガイモちゃんどこいった?まわりを掘り返す。
な。。。ないーっ。

なんと、ひとつの苗にサクランボほどの大きさのおジャガが1、2個しかついていない。大きくても7、8センチのが一個だけ。4、5箇所掘り返してみたが、出てきたのは、ちっこいちっこいおジャガが8つだけ。これはものすごーい小収穫だ。去年は南の方の畝で育てて、ゴロゴロと収穫できた。今年は北の畝。ここは元々畑ではなく、木が生い茂る薮だった所。去年ソバを育てたところだ。それがいけなかったのか?植えた芋より少ない収穫〜〜〜。ごめ〜ん、まいううーぱぱさん。イモ、買って食った方がマシだった(笑)。

ウチの畑にはこないはずだ。あいつら、わしらの畑の匂いをかいで
「くんくん、ちぇっ、ここ、イモねえよ」
とそっぽむいたのだ。
イノちゃんはイモ類というよりは、ミミズを食べに来ると言う。ここだけの話、ウチの畑にはでっかいミミズがいる。イノちゃん、それを知ったら、やってくるにちがいない。黙っておこう。
しかし昨日南のフェンス向こうが、がんがんにほじくり返されているのを見つけてしまった。う、ばれてしまうのも時間の問題か。。。

それにしても野菜は育てず、豊かな草とミミズを育てる自然の宝庫の畑になりつつあるわしらの畑であった。
なんだかうれしいなあ。(ナニ余裕かましとんねん)

絵:カットイラスト/ラベンダー

2010年7月13日火曜日

ルールってなんだ?




『人類の隠された歴史』と言うユーチューブを見た。
エクアドルなどで発見されたスレートでつくられた笛や医療器具や何かのディスクなどが紹介されている。矢追純一の番組のような鳴り物入りの、いかにもあやしげな解説ではなく、学者が淡々とそのものについて説明する。あるいは目的がわからないという。現代の技術を持ってしても不可能なモノがそこにある。

そういうものを見ながら、私たちはいろんな事を知らされずにいるんだなあと言う事を実感する。それは、狭いかごの中だけがこの世界であり、その世界以外はなにもないのだから、よそを見てはいけないと言う暗黙のルールのような。それは明らかに意図的にそのように思わされている。


小学生のとき、あるテストがあった。
私はその白い紙の上に書かれたことが何の事か分らず、自分の名前だけを書いて先生に提出した。先生は「つくしちゃん、何んちゃあ書いちょらんが。ちゃんと書きなさい」といった。私はその紙に書いてある事が何の事か分らないので、先生の言う通り、空白の中をとりあえず知っている文字で埋めていった。そしてまた提出。すると先生は「またでたらめを書いて。ちゃんと読んで書きなさい!」といった。

考えてみたら、この世はテストばっかりしている。人が優れているとか、優れていないとかという「基準」を、一枚の紙で決めているのだ。それはあるルールにのっとった考え方をしていないものは、脱落者と決められる基準の紙だ。一番二番三番、最下位、などとレッテルをはられるのだ。
たかが人に教えられた通りに書かなければ、人間としてサイテーみたいにあつかわれるし、またその人自身も「自分って、サイテー」と思ってしまうのだ。

最近は何でもかんでもランク付け。ランク付けされて、喜んだり、悲しんだりしているのだ。誰かが考えついたレールの上を歩いているだけなのだ。人はひとりひとり違わないか?

基準ってなんだ?レールってなんだ?ルールってなんだ?絶対的なもの?
歴史だってどれが正しいのだ?
間違いを教えられて、それをその通りに書いたら100点もらえて、
「なんか違う気がする。。」
と思って、それを書くと0点をもらう。たかだが誰かが作ったテストなのに、そのテストがすべてになる。違っているかもしれないものを違った方向になぞるのが正しいのだ。そこから外れると「あんた、サイテー」といわれる。これはほとんど、世渡りジョースの人にしかデキナイ代物だ。だから私みたいにブキヨーなやつはセンセに怒られて自己嫌悪の固まりになってしまう。


冒頭のユーチューブは、そんな狭いかごに入って必死で考え込んでいる私たちを外から眺めている。
「そこで、なにやってんの?」と。



絵:カットイラスト/ヴァーベナ

2010年7月11日日曜日

種取り物語〜





ここんところ立て続けに仕事がまいこんで、嬉しい悲鳴を上げている。そーゆー時にかぎって、だらだらやっていた野良仕事もうれしがってやるもんだ。それまでぐだーっとやっていたのに。人って勝手よね。

気持ちのいい晴れ間なので、作業小屋にずっと吊るしっぱなしになっていた、アブラナ科の野菜たちの種をとる。からからに乾いたさや付きの枝をそーっとおろす。それをそーっと大きなビニール袋に入れて、そーっと地面におろしたかとおもうと、いきなりばたばたばたあーーーっ!と、ビニール越しに両手で一気にたたくのだ。それまで寝ていたさやは、びっくりしてパカッと二つにはじける。中から黒くて丸いちっこい種が飛び出す。種は重いのでビニールの下にたまる。それをステンレスのボールに入れ、まわしながらふーっといきを吹きかけて種以外のさやや虫やごみを飛ばすのだ。へへへ、チョー簡単種取りの術〜。水菜、壬生菜、チンゲンサイ、白菜、小松菜の親分さんの種が取れた。この畑2世ちゃんは、ちゃんと育ってくれるだろうか。秋が楽しみだ。みんな近所で栽培しちゃったものだから、交配しまくっているに違いない。どんな野菜になって出てくるのか。うちオリジナルのおかしな野菜が出て来るかもしれない。それはそれで面白いじゃないかあー。

ついでにちょこっと小麦を脱穀する。なんとウチには脱穀機があるのじゃ。先月骨董品やで見つけたものだ。千歯こぎ。鉄の歯の部分しかないので、それをささえるものがない。しょーがないので片手で歯を持ちつつ、もう片一方の手で麦を引っ掛けグイーッと引っ張る。こんなどシロートのアナログなやり方でも、けっこうこれがいける。あっという間に小麦が穂から落ちてくれる。二束脱穀した。これをウチに持ってかえってちまちまと小麦とゴミを分ける事にしよう。
夕食のあと、ダンナとしゃべりながら取り切れていない実を穂から外す。そんな手作業が楽しかったりするのだ。

え?仕事?あ。ヤバい。


絵:カットイラスト/シア

2010年7月10日土曜日

草と野菜の共存





八列トウキビがぐんぐんのびてきた。その畝は去年紫花豆と白花豆が育っていたところ。こぼれ豆が残っていたらしい。トウキビに絡み付いて、これまたぐんぐんおおきくなる。今、赤と白の花をつけてとうきびと共存している。あいかわらず北海道の田中さんからもらった種はウチの畑にあうらしい。何でも大きく育つ。食べるために買った虎豆も手亡も植えてみた。虎豆と言えば、高級食材なのに、かわいそーにジャガイモの豆マルチにさせられている。ポリマルチならぬ、豆マルチ。これで草の生えるいきおいを抑えられるか実験しているのだ。こんな状態で虎豆がどんな姿で実を付けるのか楽しみである。

わしらの畑は全然耕さないので、去年のこぼれ種が変なところから出てくる。草刈りをするたびに、
「あれっ、こんなところにトマトの葉っぱ」とか
「げ、大根が」とか
「おお、キュウリちゃんの芽じゃねえか!」
などと、新たな2世の誕生に驚きよろこぶのだ。
だから草刈りもココロしてやらないと、
「あ”〜〜〜、野菜の苗切っちゃった〜〜〜」となる。
そういうわけで、自然農をする人は「野菜目」が出来上がるんだと思う。チッ素たっぷりの緑の濃い一般的な野菜と違って、ウチの畑は草とほとんど同じ若葉色。完全に保護色(?)になっている。だから野菜独特のカタチや感触、彼等から発せられるオーラを読み取らなきゃいかんのだ。いや、しょーじき、双葉の段階で草と野菜は違う。草は小さい時からすでに大人の姿をしている。しかし野菜の双葉はぷっくりと厚みがあって大きいくせに、なんだかたよりなげだ。案の定、そういう双葉は柔らかくってうまいらしい。あっという間に虫ちゃんに食われる。まるで野生動物が生まれた瞬間から立ち上がるのと、人間のように生まれてからしばらくは母親のお世話にならなければ生きていけないのに似ている。

しかしその中でたくましく育つ野菜がいる。どこでどういう取引が行われているんだろうか。残る苗もあれば消えていく苗もある。力の強いものだけが生き残っていくのだ。それを弱肉強食といってどこかで嘆かわしいと思ってしまうかもしれないが、それを嘆かわしいと思うと感情列車に乗ってしまう。もっと大きな視点で見ると、それこそが愛なのではないだろうか。弱い野菜を与えることで虫たちが生き延びる。虫たちは強い野菜には手を出さない。その野菜はやがて大きく育ってまた子孫をつくるのだ。その中に弱い野菜もいて、そしてまたそれは虫たちに与えることができる。彼等は大きな英知の中で生きている。今、私はその大きな英知の中に立っている。これを見ないで何を見て学ぶと言うのだ。本のなかでは学びきれない。彼等の生き方を観察してそれによって何を学ぶかは、私次第なのだ。
(きっ、決まったあ〜〜〜っ)



絵:メディアファクトリー新書表紙/「こんなに違う!世界の国語教科書」

2010年7月7日水曜日

自分の匂い





だんだん暑くなって来ると汗をかく。畑の中で上半身や額に汗している自分に気がつく。わたしゃ、今までこんなに汗をかいたことがない。運動だいっきらいおばさんなのだ。

べたべたになったまま家に帰る。このごろシャワーも浴びないし、べたべたのTシャツも着替えない。実はその方が、あとで皮膚がさらさらになってくるのを知ったからだ。汗はあえてとらない方がいいような気がしている。その汗が乾くと皮膚のまわりにビロードのような自然な膜ができ、触ってべたべたするような不快感がなくなるのだ。ところがシャワーを浴びて石けんでこすると、皮膚は乾いてもべたべたといやな感じが皮膚に出来る。

私たちはどーしても、「身体から出るモノは汚い」「イケナイもの」「即、除去!」というパターンを持ってしまっている。デトックスなどという流行ものも同じ頭のパターンから来ている。一度ついちゃったパターンはそう簡単にはとれない。それにギモンを感じる瞬間もない。そりゃそーだ。テレビをつければ薬のコマーシャルばかりだ。シャンプーリンス、化粧品、消臭剤、歯磨き粉、除菌石けん、洗濯洗剤、食器用洗剤、医薬品。。。みんな、これで治る、あれで除菌できる、それできれいになる、とタタミカケルように洗脳して来る。身体から出る皮脂油はいけないもので、外にある菌はいけないもので、頭痛など身体がおこす支障も、即とりのぞかなければいけない。畑はつねに消毒しなければいけないから真っ白い石灰を蒔く。

私たち現代人の頭は、ニンゲンが出す自然なモノは、基本イケナイものだから、まず除菌や駆除しないといけない思い込んでいるようだ。人類という生き物が出来て、いったい何億年たつか知らないが、そんな昔っから除菌していたんだろうか。少なくともアメリカじゃ、除菌なんてえものはなかったど。(私がいた2004年までは)
だからそうヒガチになって「じょきーん、じょきーんーと、人馬ーは進む~(それを言うなら徐州だろ)」とお題目唱えなくてもいーのだ。かえってヒステリックになって、よけい病気を生んでいるように見える。

「ビンボー草(ハルジオンのこと)は、とらなきゃいけないのよ」
近所のおばさんは私に忠告してくれる。
「花粉でもねえ、いい花粉と悪い花粉があるのよ。これは細かい花粉で皮膚についたらとっても身体に悪いのよ。だから悪いことは言わないわ。早くこれを処分しなさい」
確かにスギ花粉に私は反応して苦しかったけど、別にスギ花粉が悪いわけではなくて、どっちかっちゅうと、過敏に反応してしまう私の身体に何か問題があったのだ。その過敏に反応してしまう私の身体と除菌は、関係ないことだと思うだろうか。あらゆることを「取り除く」ことで、私たちは大事な何かを失っているのではないだろうか。

今の世の中、あれもこれもだめだだめだと言う。そのおかげで、人はたいへん生きづらくなった。いっぺんぜーんぶ肯定してしまったらどうだろうか。自分が出すうんこもへも汗も体臭もフケも皮脂油もぜーんぶ受け入れる。するとそれを取り除こうとする石けんもシャンプーもいらなくなる。

実は今、私は自分の体臭を感じている。これがなんとも言えずカグワしい甘い匂いなのだ。昔、犬のユタの毛の中に顔を埋めて嗅いだ、あのにおいがする。生き物が持つ独特の匂いなのだ。包まれるような、あったかい甘い匂い。きっとこれが私が持つ匂い。生命が自然に働くと、みんなこんな甘い匂いがするのではないだろうか。野菜もそうだ。ぴりぴりしたり、苦かったり、いがいがしたような感触のものは警戒心をおこさせる。それはこれは毒だぞというシグナルのようなもの。しかしこの甘い匂いはそれとはまるで正反対の、安全を確認させてくれるような匂いなのだ。ところが残念なことに、この匂いはあまり外には発散されない。むしろ無臭に近いようだ。

この季節、自分独自の匂いを知るいいチャンス。
貴方も自分の香水の匂いをかいでみませんか?
(うげ~っていうなよ)


絵:メディアファクトリー新書表紙/「アイドルと病」

2010年7月5日月曜日

お姫ばあさん




あるところに、お姫ばあさんがすんでいました。
お姫ばあさんは、薄暗い蔵の中で毎日楽しく過ごしていました。

「これはAちゃんの筆箱。これはBちゃんの筆箱。そしてこれがアタシの筆箱。うふっ、アタシのがいっちば~んステキッ!」
蔵の中には素敵なお洋服と素敵な食器と素敵な家具で埋め尽くされています。
「ここにいるのが、い~っちばんしあわせ!」
そういって、蔵にあるひとつのちいさな窓から外を見下ろします。人々が忙しげに大きな荷物を抱えて往来しているのが見えました。
「ああやだ。下々の者たちって下品よね。あの汚い服を見てちょうだい。あのおばさんを見てよ、背中が曲がって、ああみにくい!」
窓から顔を背けると、薄暗い蔵の中にはキラキラ光る絹でゴブラン織りされたソファがありました。
「うんもう。やっぱりここがいちばん!」お姫ばあさんは、どさっとソファにもたれて、心ゆくまでくつろぎました。

りーんりーん。
電話がなりました。電話に出ると、彼女が毎週一回通っているお教室のお友達からでした。
「お姫ばあさん、来週来れる?私、素敵な服をつくったのよ。貴方にぜひ見てもらいたいわ」
「あら、すてきね。貴方センスがいいから、きっと素敵な服ね。ぜひ楽しみにいくわ」

電話を切ったあと、紅茶を入れました。ボーンチャイナのカップでダージリンを飲みながら、お姫ばあさんはだんだんイライラしてきました。すると、ちいさな列車がすっとおばあさんの横に止まりました。
列車には『感情列車』と書かれています。列車は、
「感情列車にようこそ~っ!」
といいました。お姫ばあさんは、それにヒョイッと乗っかりました。

ガタン、ゴトン。。。列車はゆっくりと動き出しました。
「なんであんなこといっちゃったのかしら、アタシ」
おばあさんはつぶやきました。
列車はじょじょにスピードを上げていきます。
「だいたいあんな人、どこがセンスがいいのよ」
しゅっしゅっぽっぽ、しゅっしゅっぽっぽ。。
「それなのに、アタシったら、ウマをあわせて『素敵な服ね』なんて言っちゃった。ああ、何言ってんだろ、アタシ!」
ぽーっ!汽笛が鳴りました。
「アタシに見てもらいたいだなんて、100年早いわよ!」
「ぽっぽっぽーーーーっ!
「ああああっ、けがらわしい!だから下々の者たちってきらいなのよーーっ!」
列車は猛スピードで走り始めました。おばあさんの心もそれにあわせるかのように暴走し始めました。いや、実はおばあさんの心が列車の燃料になっているのです。列車はいつの間にかジェットコースターに変身。猛スピードで登ったかと思うと猛スピードで急降下。その勢いで一回転してはまた登る。。。そうやって、お姫おばあさんは、三日三晩列車に乗り続けました。

りーん、りーん。
電話がなりました。へろへろになって出ると、やまんばからの電話でした。
「も。。し。。も。。。し。。。?」
「あれ?また疲れてるね」
「うん。。。お友達から電話があったの」
「それくらいのことでそんなに疲れるわけないでしょ。あ、また列車に乗っちゃたんでしょ」
「列車?」
「その友だちのこと、悶々と考えてたでしょ。そのとき列車が横付けされなかった?」
「ああ。そういえば列車が来た」
「それ、感情列車にようこそ〜っ!っていわなかった?」
「言ってた、言ってた」
「んで、ひょこんと乗っちゃったでしょ」
「あ、乗った、乗った」
「どーせ、ジェットコースター並みにビュンビュン飛ばしてたんでしょ。疲れて当たり前だわい。で、何日乗ってたの?」
「三日間。。。」
「さっさと降りなさい」
「はーい」

翌日、お姫ばあさんからやまんばに電話がありました。
「あのねえ、あれから列車から降りて色々考えたの。ホントにあの人のこと嫌い?って自分で聞いてみたの。そしたら、アタシはみんなのことが大好きだってわかったの」
「へえへえ、さいですか。そりゃ、よござんした」
「アタシって幸せ者ねえ〜」
「そりゃ、けっこーなこって。
でも、くれぐれもその列車にゃ、もう乗るなよ」
「はーい」


絵:メディアファクトリー新書表紙/「睡眠はコントロールできる」

2010年7月1日木曜日

ヤクザイシの成功



 
ギャラが入ったので、その足でのこぎり鎌と剪定バサミを買いに園芸品店に向かう(あんたはナニ屋さん?)。
店の入り口に山と摘まれたビニール袋をみてあぜんとする。すべて園芸用の土と肥料だ。みんなこれを買って畑に投入するんだな。
店に入ると陳列棚にはこれまたあらゆる殺虫剤、栄養促進剤などがずらっと並ぶ。のこぎり鎌のコーナーより全然充実しているじゃないか。野菜作りのメインはこれなんだな。みんなこれを買って畑に投入するんだな。

考えてみれば、現代人はなんて薬漬けなんだろう。朝起きた時から歯磨き粉、石けん、シャンプー、リンス、ご飯のあとに栄養補助食品と称してビタミン剤をのむ。電車に乗れば除菌された椅子、つり革、会社の入り口には除菌用のスプレー、お昼はコンビニで保存料の入ったハンバーグやカップラーメンを食べ、腐らない缶コーヒーを飲む。んで、仕事帰りに晩ご飯の食材探しにスーパーによれば、野菜のほとんどは、あらゆる薬のお世話になって育った野菜。うちの近所のおばさんはプロの家庭菜園家。虫が寄り付かないりっぱなキュウリをつくる。そして持病の薬は毎日欠かさず飲む。


高1のとき、自分の将来の進路を決める話があったとき、おばさんが突然
「つくしちゃん、あなたヤクザイシになりなさい!」
といった。生まれて初めて聞いた職種だった。
「ヤ、ヤクザイシ。。。。?(ヤクザの医師?そんな職業があるのか?)」
「そうよ!ヤクザイシになればすっごく儲かるのよ!」
それを聞いた時、このひとはなんという職業をわたしにふるのか?とおもった。そりゃ、ヤクザのお医者さんにでもなれば、ものすご〜〜〜く儲かるに決まっている。
「でも、おばさん。私はその職業は遠慮しときますわ」といっておいた。だって、わたしゃ、ケーサツカンの娘だもの。。。

今になって考えるとおばさんは先見の目があったんだなあ。今、何もかもが薬、薬、薬。テレビつければほとんど薬の宣伝ばっかりじゃないか。
昔、ニューヨークで友だちがカウンセリングに出かけるとかならず薬をもらうのを聞いてなんで心の病に薬?とあぜんとしていたが、今じゃ日本もあたりまえになっている。
そりゃ、ヤクザイシさんは大もうけして大笑いしていることだろう。


のこぎり鎌と剪定バサミを買って畑にいく。
草刈りをしていると眼の回りに何かの虫が2、3匹飛び交った。一匹が眼の中に入って来た。
「あちゃっ」
虫が眼の中で暴れている。とることも出来ず、そのままにして野良仕事を続ける。だんだん眼の回りに違和感が。家に帰って鏡を見ると、顔がお岩さんになっていた。眼の中に入った虫はいいとして、目頭近くと、ほおの上あたりの2カ所を虫にかまれていた。たぶんアブあたりだろう。
朝起きてみると、誰かにぶん殴られたような顔になっている。ほとんどホラー映画だ。
薬局もいかず、このまま様子を見ることにしよう。

わたしにゃ、やっぱしヤクザイシさんは向かなかったようだ。


絵:メディアファクトリー新書表紙「FBI式人の心を操る技術」