2025年11月9日日曜日

今にいる安堵感

「秋山」和紙、水彩

 この頃、ちょっと先の予定を考えるのが億劫になった。


二、三日後の予定、一週間後の約束。

ましてや一年後の予定など考えられない。


なんというか、今日の予定でさえも、考えると心がぎゅっとなる。

未来のことを考えると、心が苦しくなるのだ。


それまでは、今後の予定を立てないと、この先どうなるのかわからない。

だからあれしてこれしてこうやって、、、と、段取りを組んできた。



でも未来は恐れとくっついていた。

過去は後悔、未来は恐れ。


今の自分にとって未来は恐れ以外なにものでもなくなってしまった。


それは老いというものが近づいたからなのか。

ただ死に向かって進んでいるという恐れがあるから、

身体のケアをやっている自分がいた。


そしてそれはとても苦しい作業だ。

それはまるで、死は誰にでも100%くるが、

その死をできるだけ先延ばしにしているかのように見える。


良寛さんの「死ぬ時節には死ぬがよく候」なんて境地にはいたれない自分。




だがこの時間というものを、考えない瞬間がある。

それが「今」だ。


今という瞬間、エアコンの音、鳥の鳴き声、遠くの電車の音、

キーボードを叩く音、目の前の文字、窓の外の色づき始めた木々、そして静けさ。

その中に浸ることの安堵感。

今にいるという安堵感。


そこには何の恐れもない。死への恐怖もない。


でも心が時間というものを意識し始めた途端、恐れがやってくる。

ちゃんと予定通りできるだろうか。

この体は今も私の知らないところで蝕まれているのだろうか。。。

全ては妄想でしかないのに、急に恐れがやってくる。



今という気楽さと安堵を知ると、

過去と未来という時間を生きてきたことが、

何と重苦しい中にずっといたのだろうと思う。

プレッシャーと責任感と間違いがないようにという恐れ、、、。




実際、私たちはいつも「今」にしかいない。

明日になれば、また今がある。


時間とは、心がここにない世界を行ったり来たりしている妄想劇なのだ。


人は今ここにない何かを常に求めている。

スマホの中に、今じゃないどこかを、今じゃない何かを探し続けている。


それは「今」がとても恐ろしいものだと思っているから。



そうなのだ。

今にいたら、すべてがバレてしまう!

時間と空間の中にい続けるのだ!

延々と恐れ続けるのだ!

延々と回り続けるのだ!


という自我の誘惑に、そろそろ乗らないことにしよう。




本当は「今ここ」が自由への扉。


果てしなく広がる叡智へと向かう入り口。






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