2025年11月8日土曜日

今、見えている世界

 

アンデルセンのメルヘン文庫「白い丘のモミジ」より

この世界は、心に気がかりなことがずっとつきまとうのだ。


「昨日、お風呂から出ると血が落ちてたんだ。

鼻血かと思ったら違う。。。なんだろう?」


彼は早速病院に電話する。

「大腸ガンの恐れがあるって言われた。。。」


陶芸教室でいつも一緒にろくろを回している彼は、

何を食べ何カロリーあるのか、

糖質はどうか、常に気をつけている。

日々の食事を徹底して管理しているのに、

突然違うところから別の気がかりがやってきた。


検査の結果何も問題はなくほっとするのだろうが、

また別の気がかりがやってくるのだろう。


こうして私たちはこの世界に恐れを見て、

恐れによってこの世界をリアルに感じている。




これが自我が私たちにささやきかける誘惑。


恐ろしいことがあるぞ、気をつけてないと、

どんな問題が起こるやもしれぬ。


だからやってくる気がかりなことは、

「やっぱりやってきた!やばい!早いとこ対処しなきゃ!」

と、心と体は動き回る。


これが私たちが密かに心に持っている

「罪の意識」に対する「罰」の法則。


悪いことが起こるのは、

どこかで私は何か悪いことをしているに違いない。。。

と感じているからだ。


だから病気になった途端、

「私、なんか悪いことしたんだろうか!?」と自動的に思う。




私は常に、本当に常に、瞬間瞬間、

自分が何か悪いことをしているという考えに取り込まれていることに気づいた。


ああ、あの人に悪いことしちゃった。

ああ、あの人の気持ちを汲んであげなかった、

まだまだあの人を理解していない。。。


という自分に罪がある、

息するように罪を犯しているという思いの中で来た。


だから嫌なことが起こると、

バチが当たった!と震え上がるのだった。


私だけではない。

みんな同じような思いに怯えている。

ちゃんと管理しなきゃ。コントロールしなきゃ。

でないと大変なことになる。。。





だが、そんな法則はまったくのウソだ。


そのことに気づくために、

自分の心の動きをはっきりと見るのだ。


その繰り返しの感情の中にいる、

心の自動反応から抜け出すために。


そうすると絶対的な法則のようなニュートンの法則も、

少しづつ綻びを見せ始める。


私たちが今、見ている、この目の前の映像。

その中にはニュートンの法則が見えるだろう。

上から物を落とすと下に落ちる。

時間は過去から未来へリニア式に流れている。

だが、そう見せられているだけだ。


見ていない世界、

つまり私の後ろは、

今もまったく存在しない。


だから、ニュートンの法則も何もあったもんじゃない。「無」だから。


血が出た。大腸ガンかもしれない。

そうでないかもしれない。


体の中は、今も何もない。

大腸ガンという罰を欲するなら、そうなるのかもしれない。

いや。そういう形の罰を取らないのかもしれない。


今見ている世界以外、何もないことを意識する。

意図的に。



心は過去と未来を行ったり来たりする。

そして今、体の中で大変なことが起こっているのかもしれないと思わせてくる。

だが、それがこの世界をリアルなものにさせているだけなのだ。

心に時間を意識させた瞬間、ここに物質世界を見る。



本当は物理法則はないのかもしれない。


見ていない世界は混沌としていて、

ニュートンもクソも、

時間もクソもあったもんじゃないのかもしれない。


そう思うと、心が愉快になってくる。









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