2025年3月31日月曜日

胡蝶の夢

「山笑ふ」和紙、水彩

 

今月は忙しくてバタバタしている間に、

山桜が満開になっていた。

高尾山が一望できる場所で、

久しぶりに山笑ふこのひと時を一人堪能する。


春の香りがする大地に大の字になって青い空を眺めながら思う。


胡蝶の夢の話は、「私が蝶になったのか、蝶が私になったのか」

夢と現実の区別がつかないことを意味しているが、

実は、私は蝶でもあるし、人間でもある、

という夢を見ているのではないか。


夢と現実の区別というよりも、

この世界が夢そのものである。


その夢の中で私が蝶になろうと、人間になろうと、

それは夢の中の物語でしかなく、

「私」とは、人間でも蝶でもないのだ。



頭の中で聞こえてくる声は、常にこの世界のことを話す。

あれはどうなった?

それは解決せねばならぬ。

その解決法は、ああやってこうやって。。。。


それは「お前は人間だ」という催眠をかける。

私が人間であると信じさせる方法は、頭の中の声を聞くことだ。

頭の中は勝手にこの世界のことを物知りのようにいう。



そう。この世界は形の世界。

形が私。形と形がまぐわって新しい命を作る。

形は形を作り出し、それは変化して死にゆく。


その常に変化するものに囚われて、

この形じゃイヤだ!別の形にしたい!

と言い続けて戦っている間に、

老いというものがやってきて、

思うように動かない自分に腹が立ち、

それを別の形にしようとあの手この手を使う。


またまんまとこの形の世界に囚われて生きることの繰り返し。


ある時、「この私という人生は、

何度もなんども同じことを繰り返しているだけなんじゃないか?」

と気がついた時、ハッとして、ゾッとした。


苦しみは形の中にあるんじゃないのか?

形ばかりに心が奪われてきた、このことへの気づきが促されていた。




空を眺める。

そこには形がない。

形がないものは私と思っているこの体を覆い尽くし、

その体の中にまで浸透している。

目の前の山の中にも、木々や草花、

そこに生きる野生動物や昆虫や蝶の中にもある。


そこに心を移す時、心は広がる。

私と思っていたこの体は、

私が見ている夢の中の主人公で、

その周りにある透明な何かが本当の私。


形であるものは私ではなく、形のないものこそが私。


心がグルンとひっくり返る。

あると見えているものは存在しない。

ないように思えるものこそが存在する。


形は、私の恐れの心が映し出した夢という幻想。


その夢の中に登場する形を、

もう追求しなくていいんだというホッとした喜び。


私は蝶でも人間でもなかったという安堵。












和紙で制作した作品のオンラインショップができました

ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです


2 件のコメント:

うゆ さんのコメント...

恐れからくる保身が嫌いで、あれこれ画策してる自分が醜く感じます。

つくし さんのコメント...

うゆさん、

恐れからくる保身と、
それによりあれこれ画策している自分にも
気がついてらして素晴らしいです。
まずはそこを褒めてあげてくださいな。