2025年3月17日月曜日

変な発見

 

「古の人」和紙、洋紙、チベット紙

変な発見をする。


あ、いやだな。。。

と、何かに対して反応すると、

目がかゆくなってかきはじめる自分に気がついた。

でも心が穏やかな時、かゆくないのだ。


花粉症歴40年の私は、

どんどん花粉症の症状が減ってきた。

毎年1月後半ぐらいからではじめるのに、

今年は3月初旬までは全く症状が出ていなかった。


お!このままいけるか!?と思いきや、

「花粉が爆飛びます」という天気予報を見つけるにつけ、

だんだん「その気」になってきた。

しかし忘れているときは全然楽だ。


そしてかゆくなる時と、

ならない時の心の状態の違いに気付きはじめる。


今、この文章を書いているときは、

花粉症のことを書いているので、なんかかゆい(笑)。

しかし苦しいほどではない。


ものすごくかゆくなる時、

大抵何かしらの問題を感じている時だ。


あ、あの用事をやらなきゃ。。。

あーめんどくさい。。。

「ゴシゴシ。。。あっ!かいちゃった!」みたいな。




心が全体性にある時、とても穏やかでいる。


それはこの世界のよしなしごとに気を取られていない時。

大きなお空や、お山や、お空の雲や、そよ風や、そこにある空気に心がある時、

ほわ~んとして、暖かで穏やか。

そんな時、体のことなんか忘れている。


だけど一瞬でもこの世のことに心が戻って、

「あれやんなきゃ」とか、「ああ、あのことをどうしたらいいんだろう~?」

って思い悩む時、なぜか心は体に引き戻される。

かゆい。くしゃみ。鼻水ズルズル。


「お前はカラダだぞ!そうだ!ここにあるカラダがお前だ!」と、

しっかりと「自分=カラダ」と体の症状を感じてお節介にも証明してくれる。


カラダという固形化されたものの中にぎゅーっと引っ張り込まれるわけだ。


体を忘れている時と、

体と一体化している感覚の違いをはっきり体験させられると、

自分はカラダじゃないんだとなんとなくわかってくる。


そして自分=カラダという信念が、いかに苦しいものだったかも知る。

こんな状態の中でずっと私はいたんだ。。。

よく今まで耐えられたよなあと、感心さえする(笑)。



罪悪感があるうちは、この世でどうにかしなきゃという思いに囚われ続ける。

でも少しずつ罪悪感が減っていくにしたがって、

こんな思いになってくる。


この世はどうにもできない。もうお手上げ。


あっ。。。わっかりませーん。


もう私にはどうにもできませーん。


神様にお任せします~。



これ、ほとんどバカなのだ。


だからバカボンのパパは偉大なのだ。








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