去年の暮れから通い始めた陶芸教室。
去年の春頃から始めたダンス教室。
どっちも難しい。どっちも腰やられる。だけどおもしろい。
上手いか下手かはだいぶ端っこに置いておいて、
おもしろいと思うことだけやろう。
路頭に迷ったら、誰かに助けてもらおう。
と、都合よく考えるようになった。
誰にも怒られはしない。
怒るのは誰や?エンマ様か?
死んだ後「お前、好きなことばっかりやってきたな。地獄行きだ!」
と、地獄に突き落とされるんだろうか。
しかし。
「俺、死んだら地獄に落とされた」
と言いに来た人は、今のところおらん。
そういう、小さい時から聞く昔話(うわさ話)を恐れて、
苦しくて努力がいることを選んできた。
苦しんでこそ美徳、みたいな。
人はどうも無意識に自分をいじめているのではないだろーか。
楽しい思いをすると、
「あ、今楽しんでしまった。。あとで何かしらの嫌なことが起こるに違いない」
「嫌なことがやってきた!ほーら、みろ!やっぱりだ!
だから言わんこっちゃない!
楽しんだりしたら、喜んだりしたらいけないんだ!」
と、光から影の方へコソコソと逃げ隠れる。。。
みたいなドラマを繰り返しているんだとしたら。
1、楽しんではいけない。
2、楽しんだらバチが当たるはずだ。
3、楽しんだ後は嫌なことが起こる。
4、だから楽しんではいけない。。。。
というループ。
これ単に信じていることを証明しているだけだったりして。
ほーら見ろ!私が言った通りじゃないか!と。
いやいや。信じていることをそのまま見ているだけじゃね?
渡る世間は鬼ばかりと思えば、
鬼ばっかり目についちゃうかもしれないじゃん。
なんでこうなるの?
どうして私の人生はいつもこうなの?
まずその被害者然とした思いを疑ってみる。
そうなるには理由がある。
自分が信じているものを疑うのだ。
ひょっとしたら、自分が自分をいじめているだけなのかもしんない。
自分は愛されるにふさわしくない!と信じて疑わないだけなのかもしんない。
惨めになっているのは、自分が惨めにさせているだけなのかもしんない。
そして何を隠そう、それを作り出しているのは自分なのかもしんないと。
愛されていいのだ。
自分を愛していいのだ。
楽しんでいいのだ。
楽していいのだ。
喜んでいいのだ。
バチは誰も与えない。
本当は自分が自分に与えていることに気がつくことなのだ。
追記:先月の展覧会の作品が、オンラインショップにて販売されています。
ご興味のある方は覗いてやってください。
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