2023年3月9日木曜日

罪がないなら


私が私を責めたくなる時、

私の中に罪を見ている。


そして誰かを責めたくなる時、

じつはそれも、私の中に罪を見ている。

自分の中に罪があると信じているから、

苦しくて、人にそれを投げつけるのだから。



自我は、罪を誰かのものにしておきたい。自分か。兄弟か。


だが真実は、罪を見れば、どちらにも罪があると言っているのだ。


そして罪がない時、誰にも罪はない。


聖霊とともに、私に罪がないことを見れば、兄弟にも罪はない。

私にないことを見ようと、兄弟にないことを見ようと、それは同じだ。

罪など、存在していないのだから。


そのことをはっきりと覚えておこう。


罪がないというなら、どちらにもない。→聖霊→真実


罪があるというなら、どちらにもある。→自我→嘘





絵:どくだみ

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