2022年8月24日水曜日

罪悪感おばけ


 

コースを学んでいて、苦しみが出てくる人は、

自分の中にある罪悪感に気づいた人なのではなかろうか。


この世界は罪によって作り上げられたという。


そうであるならば、その材料である罪は、

それを見つけない限り、訂正することはできない。




罪というと聞こえが悪いが、別の言い方をすれば、

分離の意識、分離したい心、自分と人とは分かれていたい思い。


だから自分の中に分離したい思い、罪の意識や闇があるのを見つけたとき、

今まで隠蔽していたあらゆる考えが、どんどんあらわになり、

自分がどれだけ汚く、ずる賢く、いやらしー考えの中で生きていたかを知り始める(笑)。

人はそんな自分の闇の深さや重さに耐えられなくなる。


そんなものがあらわになるコースって、どんだけ~~~~っ!


コースの本は何度も投げつけられると言われる。

あるブログで、コースの本がボロボロになった写真を載せて、

「真剣に学んできた結果のように見えますが、

実は何度も投げつけた結果です(笑)」

と、正直に話している人がいた。



愛を見つける道ではなく、愛の障壁を取り除く道。


愛はすでにそこにあるものなのに、

それを見えなくさせている私たちの考え/障壁を一つづつ取り除いていく道。


私たちの心に見えないように隠してある、見たくないもの、

つまり罪悪感にはっきりと気づくと、そこから反転が始まる。



兄弟に押し付けていた憎しみや苦しみは、自分への憎しみだったと気づく。

全ての苦しみの原因は、自分の考えだったということに気がつき始める。


罪悪感を自覚しないうちは、何に翻弄されているかわからない。

しかし一旦罪悪感というものに気がつくと、

全てがそれに翻弄されていることがわかってくる。

この世界の苦しみという苦しみはそこからきていると。


しかしその罪は、実は嘘だった。

それ自体が存在しない考えだった。




罪悪感はオバケ。


後ろから「うらめしや~~~(お前は罪深い~~~)」

ってきていると感じると、

「怖い怖い!」と逃げ惑う。


しかしその誘惑に乗らない。

ずっとその誘惑に無意識で乗ってきたのだ。


もうその苦しみを終わらせたいと真剣に思うなら、一旦落ち着こう。


おもむろにクルッと振り返り、


そして

「うん。これは柳の木」

と見抜く。


なんどもなんども「うん。これは柳の木」と見抜く。


いつのまにか罪悪感おばけはいなくなる。


あなたがそれに振り回されるという物語を必要としなくなるから。







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