2022年6月16日木曜日

いじめられていた思いを告白する

 


本当の思いをいうのは勇気がいる。


これをいったら空気が凍るだろうな。

そう思いながら空気読んで生きてきた(つもりw)。


言わずにいれば暖かい空気のまま。

だけどその暖かさは本当の暖かさじゃない。その場しのぎの形だけのもの。


心の思惑を抱えながら過ごすのは辛くなってきた。


言わなければ凪。言えば波風。

そして空気を読まない瞬間が訪れる。

何の反応もないまま、時間が経つ。



ああ、言ってしまった。言わなきゃよかった。


懐かしい感覚が蘇ってきた。


ひとりぼっち。

置き去りにされる。無視。陰口。


人が悪人に見えてくる。

小さい頃味わったいじめられていた時の感覚。

惨めで、悲しく、寂しく、どうしようもない運命に絡め取られ、身動きできない。

みんなと同じようにできない無能な自分を殺したいと思い、

同時に、私を無能扱いする(ように見える)他者をも殺したいと思う。


この感じ。

そうだ。この感覚をもう終わりにしよう。

この惨めにされる感じを終わらせたい。


私は梅林から見える高尾山の尾根を眺めながら、

それを神の祭壇と見立て、

そのなだらかな尾根に向かって心で告白する。


自分がどんなふうに惨めな思いを持っているのか、

どんなふうに怒りを持っているのか。

何のかくし立てもせず、正直に話す。


「〇〇ちゃん、ぶっ殺す!」

「〇〇ちゃん、死ね!」

と、昔私をいじめていた兄弟たちの名前を挙げていった。


一瞬マジで殺気立った瞬間があった。


そしたら、あるところから、

「あれ?私、〇〇ちゃんにそんなふうな怒りを持ってないよなあ~」

と思い始め、

一番きらいだと思っていた人の名前を言う頃には、

何の怒りも感じていなかった。


そうか。これは誰でもないんだ。

個人名などないのだ。

誰が嫌いとか、誰を憎しむとかいうものではなかったのだ。

私の中にある恨みつらみが、その人をきっかけにして出てきただけなのだ。


心の中に感じるモヤモヤするものを「これは一体なんだろう?」と正直に見て、

その見たくないような思いを、正直に聖霊に告白すればするほど、

自分の中の罪悪感が減っていく。


「私にあなたの闇を渡しなさい」

そう聖霊は私に呼びかける。


それをすることで一体何が起こっているのかは私にはわからない。

だけどそれによって、心が変化していくのを経験する。

私たちのおよび知らないところで、何かが動いているのだ。


そしてまた、同じようにいじめを受けて傷ついてきた兄弟たちにも、

私がその心の闇を捧げることで、

誰かに光を与えているのだという。


なぜなら心はひとつだから。



高尾山の稜線という巨大な神の祭壇に捧げられた私の闇は、

心の安らぎとともに消えていった。






絵:「江戸の名門」



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