2022年6月2日木曜日

苦労は買わなくてよい


 

何かが起こった時、

「やっぱりこうきたか!」

と思ったことはないだろうか。


どこかでそうなることを恐れていたのかもしれないし、

もっと深く掘り下げていくと、

こうならなければいけないのだという思いがあった。

それは期待に等しい。


例えば、人にのけ者にされるはずだ。嫌われるはずだ。仕事にケチつけられるはずだ、、、

など心の深いところで思っていると、


それがやってきたとき、

「やっぱりこうきたか!」と確信する。

「思った通りだ。やっぱり私の考えは間違っていなかった!」と。



これ、逆ですから。

始まったのは、私。原因は私なのだ。チーン。


最初に「私は罪びとだ」と信じ込んだ。

罪びとなので、罰を与えないといけない。

だから「罰」をもらっている。

いや、正確には罰を作っているのだ(笑)。


そーゆーことで、無意識に問題を探す。

問題をみつけては、(罰を与えられたと思ったら)、

それに取り組んで(刑に服して)

解決させ(刑期を終え)、

ホッとする(出所する)。


を繰り返しているだけなのだ。。。!


苦労は買ってでもしろ!というのは、

罰は買ってでも受けろ!という意味だった。


苦労を買って出るのは、罪を罰によって、あがなおう。。というか、

嫌な思いさえすれば(苦労しさえすれば)、これからの人生、

ちょっとは楽に生きられるんじゃね?という魂胆なのだ。


しかしいくら問題(苦労)を解決させ続けてもキリがないのであった。

なぜなら、もともと信じて手放さない「私は罪びと」という信念があるのだから。



私もずっとクライアントから「直しが来る直しが来る。。。。」と信じてきた。

毎朝メールのチェックをすることがどれだけ怖かったことか。

心臓ばくばく。心は大騒ぎ。

で、蓋を開けてみると「やっぱりこうなった!」と、冷や汗をかく。


あれから40年。

今から思えば、そうあって欲しがっていたのだった。。。


自分は罪びとだから。罰を与えなければいけないのだと。

そして罰を受けるたびに、少しづつ、罪が消えていき、

晴れて死という出所によって「お勤めごくろーさん」と言われたいのだ。


そんなんが欲しくって、あたしはここにきたわけ!?

ちがーう!




もし「苦労ばっかりしているわ、私。」

って思ったら、まず自分を疑ってみる。


ひょっとして罰を欲してね?と。


あいつに嫌な思いをさせられてるって思ってるのは、

それを欲している自分がいるからだって。


かわいそうな被害者を欲しているか、

罪深い罪びとは罰しなければいけないのだと、罰を欲しているか。


どっちも同じこと。


辛い思いはさせられているんではなくて、

自分でそれを望んでいることに気がつくことだ。


自分が元ですから~~~。ざんね~~ん!




だからやまんばはちょっとづつやっていった。


怖がりたいのか、

怖がりたくないのかと。


恐れを選びたいのか。

愛を選びたいのかと。


朝メールが開くまでのドキドキの時間。


そのとき「私は恐れを選ばない!愛を選ぶ!」と宣言する。


それでもまだ恐れている自分を赦す。


これを聖霊とともに見たいと願う。


そんな地道な作業をしていくうちに、いろんなことが起こり、

だんだんなにかがわかり始める。ますます信頼がやってくる。


出来事が波立たないようになってくる。

波を欲していた自分にも気がつく。

流れるようにことが進み始める。

人生が優しくなってくる。




こう書くと、自我が騒ぐ。

「そんなにうまくいくわけねえだろ!」


でもそんな自我の声も赦す。



すべては心の中の出来事。

心の中を変えていくだけでいい。


俺の指先一本動かすこともない。

怪物くんよりもすごいことだ。




絵/MF新書表紙イラスト







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