「すいません。もうお米の販売やめたんですよ~」
いつも買ってる高知の美味しいお米。地元の農協さんが、私の大好きなお米を売らなくなった。
がっかりしてると、県外発送してくれるお米屋さんを紹介してくれた。
早速問い合わせしてお米を送ってもらう。
「農協さんより安いやん」
とニヤニヤしながら食べた。まずい。
「ゲーーーっ!なんやねんこれ!」
あの美味しいお米はどこ行った。
10キロも頼んでしまった。。。どーするんや、これ。
意気消沈していると、心に思いがやってきた。
「完璧じゃなくてええやん」
え、完璧?
そうか。お米は美味しくて完璧なのだ、という考えがあったな。
あれもこれも美味しくてこそ完璧。そうじゃなかったら撃沈。
なぜ撃沈するかというと、自分がやったことが失敗した!と思ったから。
罪悪感やね、これ。
「そうか。別に全部完璧でなくてもええやんか。なーんや。このまま食お💙」
そんな話をしたら、ダンナが
「それは自分は欠陥があるって思ってるから、完璧を求めるんじゃね?」と。
そうや。キリストみたいな完璧な人が、完璧を求めるかな。
そもそも完璧であろうとするってことは、自分は完璧じゃない、欠けてるって信じてるからや。
だから完璧なお米やお菓子や、仕事や、人や、肩書きを、
めっちゃ無意識なんやけど求めるんじゃないかな。
完璧をいっぱい寄せ集めて、
「ほーら私って、か、ん、ぺ、き!」って言いたい。
だからお米が完璧(美味しい)じゃないと撃沈してたんだ(笑)。
完璧じゃなくてええやんという声は、
「もともと君が完璧だから、そんなの問題にしなくっていいよ」
って意味だったんだ。
完璧を寄せ集めなくても、その人が完璧なら、そんなもん引き寄せなくていい。
借り物の光物で自分を光らせることなんかいらない。
だってもともとその人は光ってるんだから。
引き寄せの法則は、そもそも自分が完璧じゃない、光ってないって信じてるから、
光物を引き寄せて安心しようとするんだろうな。
そう信じてるのは自分の中に欠陥が、つまり罪悪感があると信じて、
それを隠し持っているからなんだな。
だけどそんなもんないぞ。
ないって知るためには、自分がどんな信念を持ってるかを、
いったん表に出してこないといけない。
押入れの中深く押し込めている「こうあるべき」信念を、
ごそごそ引っ張り出してきて、
お日様のもとにさらす。
そうすればお化けが光の下で消えていくように、雲散霧消していく。
あ、なーんだ、そんなもん、最初っからなかったんだ!って気がつく。
地道な作業だけど、確実に自分の本当の姿を思い出してくる。
その作業がだんだん楽しくなってくる。
私、どんな信念隠し持ってる???って(笑)。
今日も良いお天気。
押入れの中のものを日干しするにはちょうど良い。
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