ある朝、ある体験をした。
それは朝布団をあげている時のことだ。
いつもは聞こえてくる心の中の声が、まったく聞こえなかったのだ。
それは意識的に無言になったわけではない。
私の中に言葉がまったく消えていたのだ。
ほんの2、3分のことだった。
布団をたたみながら、この上ない静けさを味わっていた。そこには本当の意味での安堵があった。
静けさ、安堵、そして喜びがあった。
ああ、、、いいのだろうか。こんなにも幸せで。。。
そんな思いがよぎった時、いつもの私に戻っていた。
それは一瞬、言葉のない世界とはどんなものなのか、聖霊が教えてくれたのだろう。
一瞥体験とはそんなものなのかもしれない。劇的にやってくるのではなく、ほんの一瞬、真理を覗かせてくれる。だから一瞥なのだろう。
どこに向かっていいのかわからなくなった時、
「真実とはこのようなものだよ」
と、ヒントを与えてくれる。
人はそれを目指していくのだ。
言葉のない世界。。。
それで思い出したことがある。
むかし、絵本を三冊シリーズで出版社から出してもらった。
シリーズのタイトルは「ことばのない絵本シリーズ」
それぞれのタイトルは「ロードムービー」「センチメンタルジャーニー」「鈴木さんの場合」
その絵本には主人公の全体像は描かれていない。言葉もない。
何の説明もないまま、物語は淡々と進んでいく。
二つの物語に、三冊目の物語が串刺しのように貫いて絡み合っている。
絵は紙を切ってはる手法。
一見そうは見えないが、よく見ると紙の質感が浮き上がっている。
私の色の組み合わせが独特で、印刷屋さん泣かせだったようだ。
売り上げを重視する今の時代ではあり得ないような、
実験的な絵本をその出版社は出してくれた。
その思いを心から感謝している。
初めて告白するが、実はあの絵本三部作をNHKが取材したいと連絡があった。
あの当時の私はまだ若く、強気で、そしてあの頃とてもテレビを嫌っていた。
そしてちょうどその頃、ニューヨーク行きの準備でバタバタしていた。
いろんなことが重なって、
その売り上げにもつながる大きな話を、私はあろうことか断ってしまったのだ。
本当に出版社には申し訳なく思っている。
いや正直言うと、怖かったのだ。
この絵本たちは今でも私が抱えきれないものが含まれている。
何故あのような本ができたのか私にはわからない。
あれは観察者の意識だ。
色即是空だ。色をとらえる空の意識だ。
目の前に起こる出来事を淡々と見ている存在を描いた絵本だった。
非二元の著者、ダグラス・E・ハーディングの本を見つけた時、
私が絵本に表そうとしていたことと同じことを考えていた人がいたことに驚いた。
絵本は、彼の言う「顔のないもの」そのものの視点だったのだ。
何年か前、彼の本を翻訳しておられる髙木悠鼓さんに、
私の絵本「ロードムービー」を見てもらったら、「そのまんまだ。。」とびっくりされていた。
あれから何年も経って、私はあの絵本の意味がいまわかり始めているのかもしれない。
だからあの時点でNHKの取材を受けても、
この絵本の本質は何も伝えられなかったと思う。
今おもえば、NHKの人も、
「一体なんだこれは!?」と言う思いから惹きつけられたのだろうと思う。
「ことばのない絵本シリーズ」は、あの朝私が体験したこと、まさに彼ら主人公たちの心の中に言葉がなく、安堵の中でこの世界を見ているお話だった。
だから何が起きても彼らは動じず、淡々とこの世界を通り過ぎる。
大きな決断をするものもあれば、異形の地に赴くものもいる。
その摩訶不思議な世界は、ダイナミックな私たちの心を表している。
この世界をどう作り上げるかは、私たち一人一人が鍵を握っている。
自我の心か、聖霊の心か。
言葉だらけの中に苦悩とともに生きるのか、
言葉のない世界で、安堵とともに生きるのか。
選択は常に今行われている。
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