頭の中にいろんな言葉が散乱していた。
イメージで言えば、床に犬のおもちゃや、食いちぎった新聞紙がいっぱい散乱している感じ。
最初はその一個一個を見つけては、それと格闘していたが、
いんや。これは全く意味のない言葉の羅列だと気づく。
朝起きた瞬間から、自我が一緒に起きてくる。
自我のそれとわかる基準は、「なんかモヤモヤする」だ。
一個一個のおもちゃを見てみると、
不安なおもちゃ、心配なおもちゃ、イライラする新聞紙のかけら、恐れのピーピーボール。
「ほら。これ、どお?
こっちは、入手したての新商品さ」
自我はいつの間にか夜見世のオヤジみたいになり、
私が食いつくであろうチープな商品を提供してくる。
「これは確かに新しい、、、。
ん?ちゃうやん。
おっちゃんこれ、前からあったおもちゃに色塗り変えてるだけやん!」
「これらは全く無意味だ。。。」
そう思った時、目の前に散乱していたおもちゃはしゅるしゅるしゅる~~っと消えていった。
私は自分の頭に浮かぶ言葉は、自分のものだと思ってきた。
自分を正しい方向に導いてくれる言葉だと。
だけどその言葉を聞き続けてもちっとも幸せにもなれなかった。
その言葉は、アメを1%、ムチを99%くれた。
それでもこれは自分の捉え方が間違っていたんだ、
もっと正しい捉え方をしなければいけないのだと信じきっていた。
やがてその言葉は、自分を良い方向には進ませないものだと知る。
私にはもう一つの心があることを知った。
それが私の本当の心だった。
私には想像もできないほどのことが起こったらしい。
それは神の世界の話。
ある時神の子は、神から分離ができたらどんな感じかな~と思った。しかしおもっただけで、一瞬のうちに取り消されて、分離など起こらなかったのだが、その神から離れたいと思ったその思いが大きな罪悪感になった。あまりにも大きな罪の意識は、自分の中に保つことができず、投影という形で自分の外に出そうとした。それがこの世界の始まり。
この世界が分離で出来上がっているのもそのせい。
男と女、高い低い、大きい小さい、すべて互いを否定し合うことで成り立っている世界。
自我はそれを使い、今もこの世界を維持させ続けている。
だが神は神の子を一人ぼっちにはしなかった。聖霊という存在を一緒に送った。
私には選択肢がある。
夜見世のオヤジを教師として選ぶのか、
聖霊を教師として選ぶのか。
簡単ではないことはわかっている。ずっと自我を選んで生きてきた。選んでいるという自覚さえなかった。浮かんでくる言葉にフォーカスし、
「そうだそうだ。それが正しい。で?どうやればいい?」
と、思いっきり自我を教師として選んできた。
まさかそれが私自身を破壊する目的であったとは。
けれども自分の今までの苦悩がそれによるものだということは明白だ。
この世界に正しい答えなど見当たらない。すべてが一時しのぎ。
夜見世のオヤジの考え方で出来上がってきた私には何もわからない。
今は気がつくかぎり、聖霊に答えを求める。
聖霊は声に出して答えてはくれない。私に具体的に語ることなどない。
それでも心をそこに委ねていると、自然とその時々に起こっていることが、あちらこちらに導かれて紐解けていく。
これは夜見世のオヤジには到底できない芸当だ。
自我はこの世界は実在するといい、
聖霊はこの世界は実在しないという。
神の子は分離しなかったのなら、この世界などあるはずはない。
しかししっかりあるように見える。
あるように見せているのは、
「神から分離しちゃったー、やっちまったー!」
と罪を信じている私の心だ。
その思いが、目に見えるものすべてを重く深刻にさせ、世界を維持してきた。
今でもついついオヤジに乗せられてしまう。
それでも考え方を意志的に方向転換していくことで、ずいぶん穏やかになった。
朝見せてくれたチープなおもちゃたちも、一瞬で笑って退けられるようになりたい。
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