山に入ると、深呼吸する。
山が「ようこそ!」と、招き入れてくれる。
私は「きました!」と、答える。
一歩一歩、山の砂利を足の裏で噛み締めながら、杉の林の向こうに見える青い空を眺める。
足元は見ない。だけど足が知っている。足は勝手に歩く場所を見つけてくれる。
周りを見渡すと、若葉が太陽を吸い上げて、ますます輝いている。
「いらっしゃい!」
「ありがとう!」
森の感謝の心が私に届く。
私もその感謝を受け取り、また感謝で返す。
そうすると、また森から感謝が帰ってきて、
私はまた感謝を返す。
そうやって心の中の喜びがどんどん広がっていく。
全身が喜びで満たされていく。森も一緒に喜んでる。
私も森も一緒くただ。
私の心の中はずいぶんと静かになった。
あれほど葛藤していたものはどこへ行ったのだろう。
一体何を悩んでいたのか、ほとんど忘れてしまった。
ずっと訓練していた。
自分の内側を見ること。
どんな些細なこころの動きも見逃さずに、表に出してくる。
そしてそれを裁かずに観る。
たとえ裁いてしまっても、それを赦す。
赦して赦して赦して、そしてまた赦す。
人は他人を責めているようで、実は自分を責めている。
だからひたすら自分を赦す。
そんな時にであった胸の奥にある喜びの火種の話。
胸の奥をいつも意識して「喜びは?ある?」
自分に問う。
じーっと静かにしていると、「あ、あるある」と、見つける。
そしてその喜びとともにいる。
行為は、何もいらない。
何もしない。
することといえば、心を正直に見ることだけ。
どんな心があっても自分を裁かない。
その出てきたものは、本当の自分ではないのだから。
心が静まってくると、そこにもともとあった喜びに気づく。
ただその喜びにフォーカスする。
喜びだけが本当のものだった。
あとはみんな存在しない。
気がつけば、全てが喜びでできていた。
絵:「見上げた空」
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