2020年5月1日金曜日

森の散歩






山に入ると、深呼吸する。
山が「ようこそ!」と、招き入れてくれる。
私は「きました!」と、答える。

一歩一歩、山の砂利を足の裏で噛み締めながら、杉の林の向こうに見える青い空を眺める。
足元は見ない。だけど足が知っている。足は勝手に歩く場所を見つけてくれる。

周りを見渡すと、若葉が太陽を吸い上げて、ますます輝いている。

「いらっしゃい!」
「ありがとう!」
森の感謝の心が私に届く。
私もその感謝を受け取り、また感謝で返す。
そうすると、また森から感謝が帰ってきて、
私はまた感謝を返す。

そうやって心の中の喜びがどんどん広がっていく。
全身が喜びで満たされていく。森も一緒に喜んでる。
私も森も一緒くただ。



私の心の中はずいぶんと静かになった。
あれほど葛藤していたものはどこへ行ったのだろう。
一体何を悩んでいたのか、ほとんど忘れてしまった。

ずっと訓練していた。
自分の内側を見ること。
どんな些細なこころの動きも見逃さずに、表に出してくる。
そしてそれを裁かずに観る。
たとえ裁いてしまっても、それを赦す。
赦して赦して赦して、そしてまた赦す。

人は他人を責めているようで、実は自分を責めている。
だからひたすら自分を赦す。

そんな時にであった胸の奥にある喜びの火種の話。
胸の奥をいつも意識して「喜びは?ある?」
自分に問う。

じーっと静かにしていると、「あ、あるある」と、見つける。
そしてその喜びとともにいる。

行為は、何もいらない。
何もしない。
することといえば、心を正直に見ることだけ。
どんな心があっても自分を裁かない。
その出てきたものは、本当の自分ではないのだから。

心が静まってくると、そこにもともとあった喜びに気づく。
ただその喜びにフォーカスする。

喜びだけが本当のものだった。
あとはみんな存在しない。

気がつけば、全てが喜びでできていた。





絵:「見上げた空」

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