コロナ騒ぎが始まって、ある変化があった。
それは世の中がスローモードになったこと。
いつも3時に散歩に出かける私が、この頃よくご近所さんたちと道で会う。
みんなフルタイムの仕事がゆっくりになったり、リモートワークになったりと、家でいる時間が増えたため、運動不足になるから散歩を始めたんだそうな。
私は人が集まるところへは行かず、引きこもりがちで、もともとが自粛生活みたいなものなので、ほとんど変化はないが、関係ない私までがスローになった(笑)。
それは庭の草刈りで気づく。
今まで、焦って刈っていたのだ。
草刈りだけじゃない。
早く、早く、早く、、
早く仕事を終わらせて、早く休みたい。。。
早く休んだら、その次早くあれやって、、、
それが終わったらこれやって、
それのためにはこれを急いで終わらせて。。。
そうやっていっつも何をやるにも、焦って急いでやっていた自分に気づいた。
ああ、別に焦ってやらなくていいんだ、、、と思うとゆっくりになり、
草一本一本を感じながら、ていねいに刈る。
するときれいに刈れて、庭もきれいになり、
するときれいに刈れて、庭もきれいになり、
それがとても草刈りを楽しくさせる。
考えてみれば、世の中はほとんど「仕事ができる人」が基準になっている。
早く草刈りができる人が褒められて、のんびり草刈りをする人が怒られる。
基準はいつもできる人基準だ。
だから仕事がゆっくりな人はいつもダメ出しをもらう。しかしゆっくりな人が慌ててやるもんだから、ドジる。そしてまた怒られる。。。そんな繰り返し。
ああ、私ってスローだったんだ。
小さい時からいつもスローと呼ばれてからかわれた。
だからスローの私がいけないんだ、なんでも急いでやらなければいけないんだって思ってきたけど。。。
私、無理してたんだ。
もともとゆっくりな私が、何をやるにしても、急いでやらなければ!と思ってたから、とても苦しかったんだ。
だから何をやるのも億劫になってたんだ。
こうやって、ゆっくり草を刈るのはとても楽しい。
本当は、誰に咎められるわけでもないのに、無意識に慌てていた。自分のペースじゃないもんだから、イヤイヤやる。このイヤーな気分をなんとかやり過ごそうと、早く終わらしてしまおうと焦ってた。
ただ自分ペースでやればよかったんだ。
ものすごい単純な気づきなのに、本来の自分を取り戻したような開放感がある。
急いで、テキパキと、仕事ができる人基準で回っていたんだなあ、この社会。
私のペースじゃなかった。
でも、誰の?
本当はみんな、誰ともわからないものに後ろから突っつかれながら、やらされていたのかもしれない。
目に見えない魔物にあやつられながら。
その魔物は私の中にも住み着いていて、私を後ろから突っつく。
「ほら、つくし。何やってんのよ、はやくやんなさいよ」
魔物の声だけ聞くと、それがいるかのように思える。だからずっとその声を聞き続けた。その魔物のいう言葉を信じてやってきた。そして苦しんできた。
私はもうその声を聞かない。
それは振り返れば、そこには何もいないことを知っているから。
絵:「苔」
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