「京都に行きたい」
めずらしくダンナが言った。
旅に出なくなって久しい。これまでいろんな国や場所を見て来たが、今住んでいるところが一番になってから、どこにも行かなくなった。
それと同時に、外にあるものに新しいものを見出せなくなったのが大きい。
労力とお金を使って出かけても、そこに新しいものは発見できないのにわざわざ行く必要もない。
そんなふたりであったのに、ダンナのこの一言。これはなんかあると思った。
西日本は大雨予報の中、新幹線で西に向かう。
のぞみが小田原駅でゆっくり停車した。
「ん?これはこだまやったっけ?」
間もなくしてアナウンスが。
「小田原駅の先で停電が発生しました。只今原因を確認中です」
窓の外は大雨。そのうち車内も真っ暗になった。
「車内は停電いたしました。トイレもただ今使えません」
あー。これがテレビでよく見る一晩中新幹線に閉じ込められるヤツか?
ニュースで見るいろんなシーンが頭にひろがる。
これ、ヤバいヤツや。。。
ちょっとびびっているとダンナが耳元で言う。
「何が起っても平気。だって一緒に死ぬほうが楽や。。。」
しっ、、新幹線止まっただけで死ぬんか!?なに縁起でもないことゆうてんねん!
ここでコースを思いだす。
「この世界をゆるそう。。。」
この状態に抵抗をするから苦しい。この状況をまるごと受けとめることにした。
いつ動き出すかもわからないまま時間は過ぎていったが、
30分ほどで車内に電気が付いた。そしてゆっくり動き出した。
京都駅には30分遅れで着いた。ホームにでるとむんっと蒸し暑い。さすが京都の夏。山陰本線で太秦駅に向かう。目的は広隆寺の弥勒菩薩を見ること。
思ったほど雨は降っていなかった。
太秦は美大時代、毎朝バイトで通っていた場所。親にナイショでもうひとつの学校に通うための資金稼ぎ。まだあの喫茶店あるんかなあ。
広隆寺の弥勒菩薩を見るのは今回で二度目。
一回目もダンナと見た。
そしたら同じ美大寮に住んでいた友だちに、その夜ベトナム料理食べながら言われる。
「つくし、あたしと一緒に見たやん!」
「へ?そやったっけ」
人の記憶とはいい加減なもんである。
おそらく最初の印象は「あ、教科書と一緒や」ぐらいであったのだろう。そういううすーい印象は記憶に残らないもんだ。
『記憶にございません』は、ある意味正しい使い方だ。何しか記憶に残ってないだけなのだから。(ほんとはどうかしらんが)
私の記憶、第一回目は、その美しさにみとれた。
前はもっと近くで見られたはずだ。触れるぐらいの位置にあった。その時はその柔和な美しさを間近で感じられた。おそらく指が折られたのはそのせいなのだろう。今は祭壇の上に祭られて、遠くの方に大事におかれている。
記憶第二回目。
薄暗い建物のなかで、真正面からみる。すこーしからだが左に傾いて、そっとほほに手を寄せうっすら微笑んでいる。最近太って来たせいか、弥勒菩薩の細い胴体が気になる。あんなに細かったんだ。。。
弥勒菩薩は56億7000万年後に現れ、人々を救済されるという。すこし傾いたお顔は人々を救うために思索されているという。
じっと眺めていると、未来が明るく見えた。目の前の弥勒菩薩さまは未来を憂いているわけではない、むしろよろこんでおられた。たとえ彼のまわりに激しくゆれる世界が繰り広げられようとも、彼が立つその場所は台風の目のように、静かで神聖だ。その目は現れてくる現象の世界など目にもしてなかった。知覚の世界、見えるものなどないことを知っておられた。
私はその静けさに触れていた。
以前は、その「作品」を見ていた。表現するものとして、その像がどんなふうに表現されているかを見ていたように思う。今はちがう。その現れの向こう側を見ていた。
作品とは本来そう言うものなのかもしれない。
二日後に見た南禅寺のお庭もまたそんなことを教えてくれていた。
庭を前に佇み、心に現れてくる形、思い、感情、それをこの目の前の風景を通してみる。己の姿を見る。それは日々の忙しさの中ではけして見られない。
そう言うものを提示してくる日本の美とはなんと奥深いものか。
そして私たちのために旅を演出してくれた人々も美しい人々だった。
二泊三日の旅は、なんとぜいたくな時間だっただろう。
何か、言葉にならない新しいものを見た気がした。
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