怖れがこの世界をリアルにする。
自我の動きを見ていると、つねに問題を探している。
穏やかな気分でいる時、ふいに訪れる不安。
この不安はなんだろう?とさぐると、「あれがまだ出来てない」「こうしている場合ではない」などと、今自分がやっていないことを言ってくる。
それを聞いた私は、「ああ、そうだ、のんびりしている場合じゃない。あれやっとかなきゃ。。」と、心が焦り出す。
それをやり終えると、ほっとするのもつかのま、また「あれやってないじゃないか」と、心のささやきが聞こえてきて、それに突き動かされる。
すぐ出来ることならいいが、「母親のことはどうするんだ?」「老後のことは?」「仕事は?」
と、漠然としたことを言われると、ことはそう簡単じゃない。
「いや、そうはいっても。。。」「具体的にどうすればいいのかわからない。。。」
と、動くことも出来なければ、どうしていいのかもわからないときは、途方に暮れる。
さっきまで穏やかだった心が、おそれによって、この世界がリアルに迫ってくる。
老いは?死は?
情報はあらゆることを言ってくる。情報のほとんどは恐怖をあおり、その解決法はこれだとおせっかいをしてくる。
がぜんこの世界が具体的に立ち上がってくる。
自我はこの世界を維持したい。この世界があると私に思わせたい。だから私に怖れの言葉を投げかける。
「これでいいのか?まだ問題は山積みだぞ。。。」と。
怖れ→問題→解決
という流れで、この世界が実在するように見せかけている。
だが解決などこの世界にはない。一瞬そんな気になるだけだ。すぐにまた別の問題を持ち込んでくる。
怖れ=からだが凝縮する。
不快な気分になる=問題を発見する。
この不快をなんとかしなければと、その解決法を探す。
これがこの世で目の前にぶら下げられるニンジン。
ニンジンにかかわり続けるあいだ、ずっと怖れ/問題/解決の道を生き続ける。
怖れ99%、つかの間の幸せ1%
アメとムチ。
1%のアメのために、苦の中で生き続けるの、あきた。
心の中に浮かんだ怖れの感覚や言葉を
ただ風景のように眺め、
そっと脇に置く。
気がつけば、目の前に華やかな緑。
眺めているうちに、
さっきまでの怖れはどこかに消えている。
心の中に浮かんだ怖れの感覚や言葉を
ただ風景のように眺め、
そっと脇に置く。
気がつけば、目の前に華やかな緑。
眺めているうちに、
さっきまでの怖れはどこかに消えている。
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