先日、畑で野菜が消えていた。
大きく育ちつつあったトウモロコシも、ズッキーニも、キュウリも、ジャガイモも、トマトも消えていた。ついでにジャガイモの横に生えていたカンケーないインゲンも根こそぎ。
山のすぐ横にあるこの畑は、いつも野生の脅威に脅かされる。毎度の事ながら、そのたびに驚き、がっくりする。
何のために野菜作ってんだろう。。。わたしはサルやタヌキを育てるために野菜作ってんのか?と、自問自答する。
木陰で素足になり草の上に座り、呆然と畑をながめる。バックには高尾山の美しい山並み。すずしい風がほほにあたり、荒れた気持ちを流して行く。
人が行動するとき目的がある。
おいしい野菜を作るためや、無肥料無農薬で野菜が作れるのかという実験をするという目的。
ところが夏は夏野菜を、冬は冬野菜を、ことごとく野生動物にもっていかれると、その目的は覆される。ネットを掛けたりするが、それもサル知恵にかかっちゃ、おてあげ。
残るは電気仕掛け。でもここまで広い畑だと、逆にお金がかかってしょうがない。それに何だかそういう手段に抵抗がある。
早朝ズッキーニのめしべにおしべを交配させる事をやっている。きれいに咲いたメスの花の芯に、オスの花のおしべをちょんちょんとくっつけると、核分裂をおこして一気にズッキーニの実が大きくなって行く。その変化がおもしろい。
ああ、こうやって子供が育つんだあ~って、感心する。
ふとおもう。
ただそういうことを見ているだけで嬉しいんじゃないか、わたし?
食べる事も好きだけど、かれらのたくましさや変化やその過程の美しさ。。。そういうものを味わわせてもらっているんじゃないだろうか。。。
命のダイナミックさを、じかに堪能させてもらっている。
植物だけでなく、野生動物の命の営みささえも。
そういうことのための畑なんじゃないか?
トウモロコシが消えた朝、呆然とするも、
「うまかったやろうなあ~。。」
と想像して、自分が食べたような気になっているのに少し驚く。まるで子供が食べている姿を見て嬉しい母のように。
今朝も畑に出かけると、サルの親子が畑のすぐ横の木の上にいた。
ズッキーニの畝でおしべとめしべを交配させる。同じ畝で大きくなりつつあるズッキーニも食べられちゃうんだろうなあ~とおもう。でもそこまで心ががっかりしていないわたしがいる。
立ち上がって、
「私らの分は残しておいてよ」
と、サルの親子に向かって言う。
大きくするためでも、たくさん取るためでもない、不思議な畑。
この理解不可能な現象の中で、畑8年目の夏が過ぎて行く。
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