2014年6月22日日曜日

怒りをエネルギーとして「味わう」んだ



自分の内側から出たネガティブな感情は、正当なものだ。自然なものだ。

わしらは怒ったり、怖がったりすることをいけないと思うがゆえに、出たものを否定したり、無視してなかったことにしてやりすごそうとする。
感情はエネルギーだ。そのエネルギーにいいもわるいもない。いいエネルギーは出してもいいけど、悪いエネルギーは出さないと決めたのは誰?
どっちにしたってエネルギーを出さずにためていくと、どこかで爆発することになりかねない。
だから出て来るものは、出してしまおう。

でも人に向かってやると何かと支障がある。
出すってのは、自分自身で味わうってことなんだ。
自分から出てきた感情を、自分自身で味わう。それもカラダ全身で味わう。

落ち着いた場所で腹が立った瞬間をも一度再現してみるのもいい。するとほら、また怒りが込み上げて来る。そこから観察を始める。

どうハラが立つ?
ハラが立つってどんなかんじ?
熱いものを感じる?
それはどこからやってくる?
それは動く?
どう動く?
どこに広がっていく?
ほうほう。そんな感じに広がるのか。
なるほどなるほど。
んで、どうなるの?
感じさせて。
そのエネルギーをもっと私に感じさせて。。。。

するとたいてい怒りはいつのまにか消えてしまう。怒りのエネルギーはだした本人に受け取られると消えていくようだ。エネルギーが吸収されていくのだろうか。これってひょっとしたら「見えない栄養」になってるのかもしれない。



怒りって、たいてい誰かがあなたに何かをやったことに対して出現する。そのとき出た怒りを瞬間怖れるあまり、自分を正当化しようと相手を罵倒する。
しかし言われた側は、相手が「自分が正しい!」と言って来るので、今度は自分が否定されているとおもい、「いんや、こっちが正しい!」という。

これじゃふたりが「こっちが正しい!」「いや、こっちの方が正しい!」といいあってるだけでまったく解決にむかうはずもなく、ふんふんフンガイして、ドアをバタン!と思いっきり閉めてムリヤリ終わりにするだけだ。

そうして時間とともに忘れていき、その出されたエネルギーは消化されないまま心のクローゼットに押し込まれる。ンであるときまた似たよーなことが起こると、よりいっそうフンガイして、バトルが展開する。ンでまたドアをばたんと閉めて。。。。とエンドレスに続く。(場合によっちゃ言うのも恐ろしー展開に発展する。。。?)

よく考えりゃ、相手にぶつけているあいだは、相手だって自分の生存を維持しようとするから歯向かって来るに決まっている。
じゃあ、心で罵倒すればいいのかって話だけど、怒りって、誰かに何かを要求しようとするから怒っているわけで。そんなもんだから心で要求したって伝わらない。そのムダな行為によけいハラが立つもんだ。


じつは怒っているのは、相手の問題じゃないんだ。
内側にある、あらゆる観念が元になっている。感情は観念からやってくる。相手は、まったく問題じゃない。
なので、このさい相手のことは無視。

自分の怒りを単なるエネルギーとして「味わう」んだ。
この行為は自分自身をうけとることになる。自分から出た感情をそのまんまうけとることになる。自分自身をオッケーできる糸口になる。


2 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

うーん・・・ネガティブもなく腹立つもなく・・とにかく飛び上がる前には、ちょびっとはしゃがまなくちゃならないって、思えればいいんじゃね??
わたしは、落ち込むことも多いおやじだけれど、飛び上がるために、しゃがんでるんだ!
・・・・・って信じようとしてます・・。
本当かどうかは知らない・・・結果が教えてくれます・・・かも(笑)

つくし さんのコメント...

ネガティブもなく、腹立つもなく。。。
おお。そんな悟りのよーな境地にわたしもなりたい。