やまんばは思い込みで生きております。
石けんなしでも身体はきれい。
肥料なくても子は育つ。
ちがうちがう、野菜は育つ。
根拠?
そー信じてるから、そのよーに見えるだけです。
一方、石けんがないときれいにならない。
肥料がないと野菜は育たない。
根拠。
そー信じてるから、そのよーに見えるだけ。。。だったら?
最近は、この世の常識は仮説だらけとか、統計の9割はウソだったり。。とかゆー情報があるらしい。
やまんばはそんな専門的なことはわからないけど、いわゆるジョーシキとか科学とかアカデミックな感じで言われていることは、なんだか堅苦しく、自分がちぢこまっていくよーなかんじがするので、どーしても好きになれない。
で、その反対に、これ、ホントに必要?とか、これ、ほんとにそうしないといけないの?と思うことは、進んでやめてみるんだな。
そーすると、なんだかとってもカイホーされた気分になる。
すると世の中で必要!といわれていることは、へーきでいらなかったり、「しないといけない!」ことをしなくても、ふつーにことが流れていったりするのだ。
なんで?
やっぱ「思い込み」じゃね?
あなたはどの「思い込み」をえらぶ?
絵:「カッパママ」裏高尾の不思議な仲間たちより。
裏高尾には不思議な生き物たちが住んでいる。
彼らはニンゲンの近くに寄ってきて、ニンゲンのフリして生きている。だけどどっかがちょっとへん。なんか気になるな〜っと道をすれ違う人物をそっと観察すると、すこ〜しおかしな部分を発見するのだ。
かれらは「これがニンゲンだ!」
とゆー思い込みでそのフリをしているに違いない。だけどどっかがちぐはぐ。
あんがいニンゲンも外から見ると、ちぐはぐなんかもね。
2 件のコメント:
昨日の常識は今日の非常識。子供の頃、週に三回位しか銭湯に行かなかった。で、三回に一回位しか頭洗わなかった。つまり週に一回しか頭洗わなかった。うわ、きったない!って思うけれど、当時は普通です。
むかし、冷蔵庫なかった。毎日食べ物を買いにいったとき。今日と明朝の分くらいだけ買ってた気がします。
そんなもんじゃね?数年後は常識変わるさ。どう変わるかは、知らないけれど(笑)、
それがあらゆるものの思い込み、つまりつねに変化するジョーシキへの自分のカイホーにつながったらおもしろいね。
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