ふと頭に浮かぶことってある。
そのアイディアにドキッとしたり、え?めんどーくさい、とおもってみたり、ムリムリ、ありえな~い、と否定したり。
こんなことはみんなの中にも時々起こらない?
やまんばは、ふと頭に浮かぶことをたどってみたんだ。
ニューヨークにいくことになった時もそうだった。
その他、覚えてもいないささいなことで、その直感とゆーか、ふと浮かんだこととゆーか、そーゆーことをそのまま、まにうけてやったことによって、ことがスムーズに進んだり、ものすごーい勉強になったり、何かを掴んだりしていたんだ。
実はそのふと頭に浮かぶことって、すごく大事なことを教えられているんじゃないだろうか。ふと頭に浮かぶって、どっからくるんだろう。
んで、そのふと浮かんだあとに、すぐやってくる考えがある。
これは「え~~~?」ってな感じの、反応なのだ。
このすぐ後に来る考えは、だいたいにおいて常識的なことをいってくる。
「それはジョーシキ的に考えてもムリでしょう」
「ばっかじゃないの?」
「そんなことしたら、何いわれるかわかんないわよ!」
「ヤバいヤバい。何かんがえてんだ、おれ」
「あーー、ん?それ、あとあと。今、忙しいから」
こーして、あとから沸いてくる考えと一緒に、そのふと浮かんだアイディアは忘れ去られることになる。時々ふと思い出しても、ああ、やっぱりあれはありえなかったことだわ。あーよかった。ふりまわされなくて。と、胸をなで下ろす。
とまあ、そんなことの繰り返しじゃないかしら、日常って。
後から浮かぶ考えは、自分で考えている。
生まれてきてこのかた身に付けてきた、考え、教育、常識、伝統、等々。
だから自分で「考え」ているのだ。
だけどお~、
その前に、『ふと浮かんだ』ものはいったい『誰が』考えて運んできたものなのだ???
世に天才と言われている人々は、その「ふと浮かんだこと」を、アホみたいに信じてそれに賭けてきたんじゃなかろうか。天才とアホは紙一重とゆーではないか。
誰やねん!いったい誰やねん!
これはわしの頭ん中からと、ちゃうどお。
ふと浮かぶ考えは、ジョーシキとかけはなれていたりする。でもそれをまに受けて行動することによって、解放されてくるなにかがある。
やまんばもジョーシキから考えたらムリな状態でNYに行った。その結果とてつもないものをもらった。
このカラダの上のほうについている丸い頭の中で考えに考えて出来上がるものは、やっぱり頭ぐらいの大きさのもんかもしれない。
だけどふと浮かぶものは、サイズ感がない。時間もない。ジョーシキもへったくれもない。それは時によって分子ぐらいの大きさであったり、または宇宙規模の大きさだったりと、スケール感がちがう。
このふと浮かぶものに忠実に動いてみたら、どーなるか、ふと思ってみたわけさ。
絵:「なぜ皇居ランナーの大半は年収700万以上なのか」MF新書表紙イラスト
なんと!よくテレビで見る皇居ランナーさんたちはみ〜んな、お金持ちだった!
あなたの頭の中でふと皇居走ってみたいなあ〜とおもったら、あなたにはリッチがやってくる!かな?
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