ともだちんちでごちそうになった。
目の前には巨大な甘エビ、スモークサーモン、お刺身、生ハム、ステーキ、ありとあらゆる高級食材がならぶ。そこに畑でとったハルジオン(通称=ビンボー草)の天ぷら。金持ちとビンボーが合体した美しい食卓であった。
年頃の娘さんが二人。うまそうにほおばる。
この二人はわかいうちからすでにこんな食材に囲まれている。彼らの未来はどこを目指すのであろうか。
やまんばたちの時代は、親の時代よりもモノがあったとはいえ、まだ「何かが足りない」飢餓感があった。もっと豊かな暮らし、もっと進んだ科学。。。
それに突き動かされて今まできた。
だけど彼らを見ていると、いったいどこへいきたがるのだろうかという疑問がわいてくる。どこを見てもすべてがある。いつも目の前には豊かな食材。世界中の食材。
これを維持することだろうか。
もっともっと進んだ食事?
工場で生産される科学的な野菜?
物質の豊かさの追求を、彼らもまた追いかけるのであろうか。
そうだろうか。
生ハムやステーキを普通に食べて、もっともっと何かいい食材ってさがすだろうか。それをやりつづけるのは、私ら古い人種なんじゃないか?
彼らは「物質のよさはわかったわよ。で?それが?」って思っているように見える。
物質文明をどこか冷めた目で見ているように見えた。
彼らはきっとそれを越えた「何か」を求めていくんだろう。
やまんばはそう感じた。
4 件のコメント:
「物質のよさはわかったわよ。で?それが?」
そりゃ、そうでしょうが、「不自由な時代」を知らないやつに、偉そうにされる義理もないわな。
そうではなくて、私たち世代がもとめていた物質の豊かさを越えて、今度は精神性に意識が向いていくんじゃないかと、彼ら新しい世代にわたしゃ期待しているのだ。
そうだといいね。
私の不安は、も一回不自由な時代になった時(きっとなる気がする・・・)、彼らは耐えれるのかな?ということなんです。
貧しかった時代に生きた私らも怪しい気がするんですがね。
物質的な不自由がきたら、耐えるのはたいへんでしょうね。
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