整形を繰り返す女性を番組で見た。普通の女の子が、整形を重ねるうちにどんどんきれいに、そしてサイボーグのようになっていく。ちょーかっこいい。映画「未来世紀ブラジル」を生でやってくれている。
巨乳にする手術を受けながら、あえぐように「せんせい、あたし、きれい。。。?きれい。。?」という。ほとんどエクスタシーのごとく。
んで、術後、じぶんのおっぱいをみながら、「もっとおおきくする。。」という。
はたからみたら「アンタ、ちとおかしいんちゃうか」ともおもう。
彼女はどこにむかっているのか。
もっときれいになること?きれいになって人にみとめてもらいたい?
いんや。努力している自分を認めて欲しいのだ。
彼女の言葉に「努力」という言葉が頻繁に出てきた。彼女は努力して美しくなったと言う。だからみんなも努力して欲しいと。
さて、努力するためには、努力する理由がある。
彼女はまず自分の顔を否定したのだ。「この顔はイケナイ」「こんなもの、世に送り出してはいけない。人様のご迷惑になる」
だから整形という努力をしてきれいになり、人様にご迷惑をおかけしないようにする。
努力するといいことがある。
人に「アーラきれいになったわね」と言ってもらえる。世の中に受け入れられたと思う。この瞬間の感激はかなり大きくインプットされる。
すると、「努力する=人々に受け入れられる」
という法則が彼女の中でできあがる。
となると、「努力しない=人々に受け入れられない」
という、もう一方の法則も出来上がる。
コインの裏表。表裏一体なのだ。
コインの裏表。表裏一体なのだ。
なので彼女はえんえんと、努力し続けないといけないのだ。そうでないと人に認めてもらえない。それは自分が消滅してしまうほどの恐ろしいことなのだ。だから努力をやめられない。彼女にとって「努力=整形」なのだから。
だが整形も度を過ぎると崩れてくるはずだ。マイケルジャクソンのように。そのころは、もうはたはあきれる次元にいるのだろう。だけど認められるためには努力しないといけないので、崩れたものをまた治すという「努力」をくりかえすことになる。
彼女を笑えるだろうか。
わたしゃ笑えない。
みんな努力をしている。努力をして人々に認められたがっている。それは小さいとき「おまえはそのままではいけない」といわれたからだ。自分という存在を否定するところから始まった。
それは彼女が「この顔はイケナイ」と思ったのとどこが違うのだ?
わたしたちは、精神的に人に依存している。
自分という存在を、人に認められることで存在できると信じている。となると、つねに人の目を気にして生きることになる。モノの基準をどこかの誰かにあわせて生きるのだ。
だれに?
そのままで、誰の基準にもあわせず、あるがままでなぜ存在できない?
そのままで、誰の基準にもあわせず、あるがままでなぜ存在できない?
彼女は一生「これでいいわ」と思うことはないだろう。
そして私たちも人に精神を明け渡している限り、一生「これでいいわ」と思うことはないだろう。
2 件のコメント:
ちとおかしいんだと思います。
が、どうも世の中の大金持ちって、「今」の自分に満足しない方たちのようです。私なんかも満足はしていないけれど、その先の不断の努力考えたら、こんなもんかな・・・とあきらめちゃう半端ものなので、大金持ちにはなれない。という理屈なんじゃなかろうか・・・。
大金持ちも、ぱぱさんも、どっちも今の自分に満足していないってこと。。。かな?
ということは、どんだけ努力しようが、今の自分に満足しないってことだな(笑)。
視点を変えると「探求」は自分のためだけど、「努力」は人の目を気にしてるってことかもしれん。
探求している人は、自分に満足するとかしないとかという発想もなく、自己完結しているのかもしれない。
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