2008年9月29日月曜日

のんべえのオヤジ



前世の記憶なんてちっともないが、一度だけ変な感覚になったことがある。

あれはイタリアのミラノでのこと。街のシンボルであるドゥオーモの中に入った時のことだ。
最上階に上がったのち、石作りの狭いらせん階段を下りてくる。その薄暗い階段をとんとんと下りている間に、めまいがして来た。足元がおぼつかなくなった時、ふいに頭の中に映像が飛び込んで来た。

それは、雨上がりの北イタリアの夜だった。私の視点は石畳の上にあった。あたりは真っ暗で、飲み屋の入り口の灯りだけが、しっとりとぬれた石畳を浮き上がらせている。
つまり、私は北イタリアに住むのんべえで、つい今しがたさんざん飲んだ酒代を支払う金がなく、飲み屋のオヤジに蹴っ飛ばされて放り出され、地べたにスッ転んだ、という状況だった。

はっと我に帰った時、私はここにいた!という実感が、ぐわとよみがえったのだ。
おいおい。これは前世の記憶なのか?
ふつー、前世の記憶って言ったら、クレオパトラかナポレオンか、はたまたどっかのヨーロッパのお姫さんじゃないといけないんだぞ。それをただの酔っぱらいのオヤジとはどういうこっちゃ。あまりにリアル過ぎるじゃないか。しかも私はお酒好きときている。に...にすぎている...。しかもそのオヤジがどういう性格で、どういう職業を持っていたかまで、何となくわかっているのも気持ち悪い。

ということは、今回ニッポン人の女の子に生まれ変わって、酒は飲み過ぎたらいかんぜよ、と戒められていたということなのか。小さい時からいつもお酒は近くにあって、酒を飲むということはどういうことかということも客観的に教えられもした。おかげさまで、酒代を払えなくて、酒屋のオヤジに蹴っ飛ばされることもない。

でも、客観的に考えると、たまたまそこにいた飲んべえのお化けが、飲んべえの私にとりついて、自分の姿を見せた、ともいえる。つまり、また飲みたくなったお化けが、「ふんふん。こいつにとりついて、酒をかっくらおうぜー!」と、計画たてていたのかもしれない。その計画はあえなく失敗に終わったが。


この世は不思議だ。
目に見える世界だけがすべてじゃないような気がする。あっちの世界=お化け、という単純な構造ではない、とてつもなく広い世界が待ち受けているように思う。
この頭のまん中に二つくっついている『目』という道具で見えている世界は、ホントは豆粒みたいにちっこい世界なのかもしれないね。

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