2008年9月18日木曜日

植物に感情?



植物には感情がないと一般的には言われている。でもホントに?

人参を切る時、人参さんは「ひえ〜ッ」て言ってるかもしれないのに、単にニンゲンの耳に聞こえないだけかもしれない。ものすごーい性能のいいマイクを使って、彼らの声を聞いてみると、大根が「お助け〜」とか、「後生でございますだ、おでえこん様」って叫んでいるかもしれないじゃない。いや、まてよ。コレって殺生なんじゃないの?とすると、精進料理はどーなる?大根に殺生していることになると、ふろふき大根が食べられなくなる(そういう問題か)。

私には、植物には感情があるんじゃないか?と思うようなことが度々ある。
ニューヨークでいる時、よく近所の公園で木に触れていた。
しばらく彼らの木肌に触れていると、手の甲のまわりに、ぽわ〜んと暖かい空気が絡み付いてくる。何とも言えないその気持ちよさに、「きっと、この木が私に答えてくれているんだな...」なんて、都合のいいように解釈していた。
ある時突然、その木が大きくブルブルッと震えたのだ。その大きな変化にビックリして手を離した。一体何事?
まわりを見渡して気がついた。うちの犬が、その木におしっこをかけたのだ。
ああ、木はおしっこかけられるの、あんまり好きじゃないんだな。そりゃそーだ。おしっこって、結構塩分があるし、なにより汚い。と、いうか、かけられてうれしいやつなんか誰もいない。でもこんなに反応するとは思いもしなかった。これじゃ動物みたい。
けど木だから動けない。おしっこから逃げられない悲しさがある。

日本に戻って、はじめての春、うちの庭に大きな木が2本あった。5月になって、まわりの樹々が若葉で溢れているのに、その木2本だけがいつまでたっても芽吹かない。前の人が庭の木をいっぱい枯らしちゃったと聞いていたから、すっかりその木たちは、枯れているものと思い込んでいた。
「ねえ、あの木たちどうする?」と私。「ああ、枯れているなら、切るしかないね。倒れられたら大変だもん」とダンナ。「そうね。近々切りましょうか」という話しでまとまった。

次の日。
朝、庭を見て目を疑った。その大きな2本の木いっぱいに、若葉が芽吹いていた。「枯れていなかったんだ!」二人で大合唱。
前の日まで茶色い木肌しか見せていなかった彼ら。たった一晩で、木全部が緑の若葉におおわれていた。
..そうとうがんばったんだな。
わしら、生きてるよ!切らないでよ!って、必死で訴えたんだな。
ちゃんと聞いてるじゃん!

やっぱ、植物もニンゲンや動物と同じように、耳を持っていたり、感情を持っていたりするんだと思う。
聞こえないや感じないのは、単にこっちのニンゲンの感覚や、都合の問題じゃないだろうか。

きっと昔の人はこのことを感覚的に知っていたに違いない。

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