2008年9月27日土曜日

「ちゃんとしなきゃ病」




あれから、「私もちゃんとしなきゃって思ってる」という感想をいっぱいもらった。
みんな同じこと考えてるのね。

『ちゃんとしなきゃ病』は、返して言えば、『アリにならなきゃ病』ともいえないだろうか。
汗水たらして働くこと。それがニッポン人の美徳の一つかも。世間に後ろ指さされるようなことはしてはいけない。はずかしくない生き方とは、汗水たらして一所懸命働くこと、みたいな。

たぶん、ニッポン人には「アリにならなければいけない」という強迫観念が他の国よりも強いんじゃないかな。少なくとも、私の知っているアメリカ人には、「アリにならなければいけない」という切羽詰まったモノはなかった。そういうアイディアはない、ともいうべきか。

一所懸命働くことはとても大事なことで、いいことなのだけれど、問題は、どこかで「私、一所懸命じゃないんじゃないか?」と思ってしまうことなんじゃないだろうか。
後ろ指さされないようにしなきゃ、
ちゃんとお天道様の下で暮らせるような生き方をしなきゃ、
人に迷惑をかけないようにしなきゃ....と。
それがかえって強迫観念のようになって、私じゃないけれど、「勝手に監視人」を作っちゃう人もいるかも。

そういう人はきっとまじめな人(私以外)だから、人のやり方も気になったりする。自分にきびしいし、人にもきびしい。ましてやこんな物騒な世の中。「他人は何しでかすかわからない」という思いが膨らむ。行き着くところは、お互いが監視しあうことになりかねない。何となく窮屈なかんじがする。

とくに最近「ゆるせない」という言葉を耳にする。
その言葉は、言った本人も他人も窮屈にするんではないだろうか。
「じゃあ、ゆるせっていうのか?あいつがあんなことをしたことをゆるせと?」と言うかもしれない。人は人それぞれの思わくがあって行動する。極悪人のあいつだって、人の子。いろんな考えがあってやっちまったこと。そのやっちまったことのおとしまえは、その人がテンツバ(因果応報)でどうしようもなく帰ってくることだと思う。カルマや見返りはその分野の専門科、お天道様にまかせておくのが一番。そんな分野にニンゲンの私たちがかかわってしまったら、ミイラ取りがミイラになってしまうかもしれない。

大事なのは、自分がその気持ちに取り巻かれないことだとおもう。「ちゃんとしなきゃ病」も「監視人」も「ゆるせない」も、その気持ちの中に取り巻かれてしまっていることなのかもしれない。
まずは自分でつけた鎖や呪縛を取り払うことじゃないかな。ひとつ、ひとつ。

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