2018年6月13日水曜日

京都の旅 その2



薄暗い部屋の中に、長谷川等伯と長谷川久蔵の国宝はあった。

パンフレットに絢爛豪華に印刷されているものとはまったくちがう、金箔がその輝きを時の流れとともに変化させていった、私好みのものだった。

それはミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツイエ教会で見たダヴィンチの「最後の晩餐」を彷彿とさせた。
描かれた当初はさぞかし美しい絵であったろうその壁画は、食堂にあった時代に湿気やすす、馬小屋に使用されたおりの臭気や排泄物、その他洪水や空爆による損傷でひどく風化していったようだ。実際この目で見ると、教科書で見た絵とはまるでちがい、真っ暗でほとんど何の絵かわからないほどだった。
それがなんとも言えない感触をこちら側にあたえ、ずっと見入っていたものだった。


雨のせいか平日のせいか、空間には私ひとり。あの時の感覚を思いだしながら、ゆっくりひとりぜいたくに障壁画を堪能した。
松のうねり、枝のうねり、草の流れ、花の弾け。いろんな楽器がそれぞれのリズムを奏でながら大きなオーケストラの楽曲を聴くように見る。からだが勝手に松のうねりにあわせていく。私は音のない音を聴いていた。



「今、智積院を出た。ここからどう行くの?」
細く長くつながっている京都の知人に連絡をする。久しぶりに電話したのは、出発の前夜だった。
「そこ、東大路通りやろ?タクシーに乗って、まーっすぐ北に上がってもろて」
そんな私を軽々と受け入れてくれる人物。
「突き当たりのコンビニで待っててや」
タクシー代を払い終えて降りると、そこににこにこする彼がいた。
「よおきたね」
「ごめーん。急に勝手なことお願いして」
「かまへんかまへん。こっちはいつでもええで」

東山にある小さな小料理屋さんでハモの天ぷらをご馳走になり、その足ですぐ近くにある京都大学のサロンで、京大生のような顔をしてお茶をした。どう見てもちがうけど。

一見人の良さそうな彼だが、じつは鋭い眼力を持っている。二年前に大阪で個展を開いたとき、私の作品を見た彼に一撃を食らわされた。
「作者の意図が丸見えや」

あの言葉で、はじめて私のイラストレーターとしての職業の短所が、外側から意識化された。クライアントの要望が大前提の仕事。同じ絵を描くといっても、最初にクライアントありきのイラストレーターと、内側からわき上がるものをつむいでいく絵描きとはまるで出発点がちがう。
クライアントの要望の全体像を最初に頭に描いて、それを目標に描くイラストの仕事。30年間培われた、クライアントの要望ありきの絵描きは、その染み付いた習慣をそう簡単に落とせそうにない。

彼もまたその昔写植をやり、今はデザイナーである。彼の表現は小さな豆本を作ること。活版印刷や製本など、一からすべて自分で作る。その世界にうとい私は彼の世界感をどう見ていいかわからない。しかし活版印刷独自の肌触りやノスタルジックな空気感がなんともいえない。言葉の内容と手に取った豆本の触感が一緒くたに手の中で表現されている。彼の「作品」を手でちょくせつ触るその恐ろしさとはかなさに、おっかなびっくりになる。

「これがなかなか外せへんのや」
コーヒーをすすりながらいう。

目が細いせいか、いつも笑っているように見える。にこにこしながら、その眼の奥に物事をするどく読み解くワザを秘めている。
ぱっと見、白い口ひげを生やしてめがねをかけた初老の彼は、京大の教授にみえないこともない。老子の道徳経の講義でも開いていそうな風貌だ。いやむしろ、現代の老子?

クライアントありきの世界は、彼もまた同じ。私の表現上の葛藤は、彼の中では重々承知のうえでのことだった。その上でひょうひょうと自分の表現を生きる。クセを外せない自分。葛藤もまた好し。それもまた表現。

彼のにこにこはすごみになり、言葉にならない言葉を私に伝えてきた。



絵:紙絵/樹


2018年6月10日日曜日

京都の旅 その1



久しぶりの京都は雨が迎えてくれた。
京都駅から206系の市バスに乗って、長谷川等伯の国宝の障壁画を見に智積院に向かう。

込み合う車内で、肌が独特の感覚をとらえていた。

「発車します。。。」
バスの中で運転手さんの小さな声が聞こえる。バスはゆっくりとうごきだした。渋滞する車のあいだをくねくねとヘビのように蛇行しながら走るバスはすぐ大通りの信号で止まった。
「信号待ちです。。。」

そぼ降る雨の中を、観光客や地元の人々が入り交じって横断歩道を歩く。京都独特の風景。信号はなかなか変わらない。
「発車します。。」

やっと発車したかと思うと、すぐまた信号。
「信号待ちです。。」


一番前に座っていた私は、このゆっくりとした時間の流れにとまどいつつも、心はうきうきしはじめた。
ああ、こうだった、こうだった。あの時の京都と、時間の流れはちっとも変わっていない。



39年前、私はこの土地にいた。
高知の田舎を脱出してはじめてうつり住んだところは、日本の文化の頂点ともいえる京都だった。
はじめての人々、はじめての方言、はじめての空気感。太陽ギラギラパッカーンとした高知とはまるで正反対。じっとりねっとりした空気の中に、洗練の美がそこかしこにひそむ。
あれは誰々はんが作らはったお庭。
あれは誰々はんが作らはった茶の道。
あれは誰々はんが描かはった国宝。
あれは誰々はんが見つけはったお茶碗。
あれは誰々はんが作らせたお寺。。。。
道を歩くと、辻ごとにいわれのあるものにぶちあたる。

田舎もんまるだしの青二才が、そんな濃厚な歴史に乗っかれるはずもない。しかもあろうことか美大生のくせに親にナイショで音楽に走り、巨大な京都の文化にひるみまくって素通りして来た4年半だった。

そして今大人に、、、いや初老にひっかかってる私は、京都をえらそげにも余裕を持ってみていた。京都は修学旅行で来て消化できる所ではない。大人になってこそ味わえる場所だ。(じゃ、どこに修学旅行に行くのだ?)


まあそんなことはさておき、今回の旅は、ある日アマゾンからえたいの知れないものが送りつけられて来てから始まっていた。

「これ、なに?」
開けると、小さな箱の上にビーグル犬のような犬が乗っかっている。箱の横には英語で「CHOKEN-BAKO」とかかれている。
「ちょ、ちょけんばこお?」

送り主はアマゾン。そりゃわかっちょる!だからいったいだれやねん!
送り主の所に小さくケータイ番号を見つける。
この数字の並び。どっかに記憶あるぞ。。。
ケータイの電話番号登録ですぐわかった。美大時代の恩師のケータイ番号だった。

「おれの個展に来いよ」
「センセー、金ないよー」
「なら貯金して来い!」
と、SNSでやりとりしたのは、言葉の上でのお遊びじゃなかったのか。。。

恩師のレベルの高いジョークに少々辟易するも、これは卒業後も数々のご面倒をおかけした恩師への恩義をお返しする絶好のチャンス!とおもいたった。

「よし!今から100円づつためると、一年後の今ごろは、三万数千円貯まっているはず!これで京都にいくどーー!」

その日からそのワン公、いや恩師の名前をもじって、「みーちゃん」に毎日100円玉のエサを与えることにした。

みーちゃんの足元にはエサ箱がある。そこにコインを入れると、みーちゃんは首を下げ、がつがつとエサ(コイン)をむさぼるかのように、ブンブンと首を上下左右に激しくふりまわす。それにあっけにとられてみているあいだに、エサ箱はほんの少し傾き、コインは足元にある箱の中に消えていくという寸法だ。
横に書かれた「CHOKEN-BAKO」という文字も、CHOKIN-BAKOのつづりを間違えたものではなく、貯犬箱というなかなか粋なダジャレだったのだ。
やるじゃん。みーちゃん。

とかなんとかいいながら、さすがに50過ぎの大人は子供のよーにずっと無邪気になれるはずもなく、毎回のみーちゃんのはげしいエサのかぶりつきに飽きてしまい、みーちゃんはいつのまにかほこりをかぶってしまっていた。

そうこうするうちに、恩師の個展が近づき、みーちゃんの乗っかっている箱をあけてみた。
貯まっていたエサは、8127円。これじゃ名古屋までもいけない。行くのやめようか。それとも夜行バスで。。。?

その頃ちょうど父の告別式や49日の法要などで行ったり来たりの真っ最中。夜行バスに乗る気力もない。恩師の「貯金をして、、、」という期待には答えられないが、大人なわたしはさっさと足りない分を足して新幹線にぴょんと乗ったのであった。


京都の旅はつづく。。。




絵:紙絵/むかご


2018年6月6日水曜日

父の遺産



四十九日の法要のあと、父の遺産の全貌があきらかになってきた。

財産と言えば聞こえはいいが、父と義母が住んでいる小さな家と、二つの銀行にいくつかの通帳があっただけ。
おそらく異動のたびに銀行マンに頼まれて、口座を開いていたのだろう。同じ銀行でいくつもの支店の通帳をもっていた。預金通帳にも小さな額をちょこちょこ入れて、すこしつづためて来た形跡があった。

公務員とはいえ、しがない地方公務員。出世欲も金銭欲もなかった父。保険も一番最低の簡保に入っていた。見事に父の等身大の財産が残されていた。

それをみて父らしいなあとおもった。
好きな酒を好きな友人と飲む。ささやかな彼の人生がそこにあらわれていた。

保険と言えば、死亡時に何千万円、何億円という金額をかける時代。そんな時代にはめもくれず、「おれはそんなもんには入らん」といったそうな。
「ひょっとしたら。。?」
と、いらぬ知恵が一瞬よぎった私がはずかしい。


いつのまにか私たちは大きなお金を欲しがるようになった。
それは家という大きな買い物をだれもがする時代になったからかもしれない。建て売りの出来上がった既製品を、服や家具を買うような感覚で一気に買う。人生で一番大きな買い物だ。

だけどほんのちょっと昔までは、家と言うとすでに出来上がった既製品を買うというものではなく、すこしまとまったお金が出来ると、あそこを増やし、あそこを直ししながらじょじょに建てていく人々の暮らしがあったそうな。昔知り合った棟梁からそんなはなしを聞いた。
それはまさに人の背丈にあった生き方だったのではないか。

そしてやっとローンも払い終えたかと思うと、今度は老後の心配だ。
何歳までにはいくら必要だ、こんだけもってないと悲惨なことになる、などとメディアは消費者をあおる。老後は?病院は?はてはなにかあったときのために!
いったいどれだけもっていれば心が休まるのだろうか。

しかし考えてみると、人類始まって以来、ここまで必死に老後に備えていた時代はあっただろうか。ついこの間までその日暮らしってのが庶民の生活だったんじゃなかったっけ?
あれは落語だけの話?

また父は警察官でもあったため、人間が何を動機に犯罪を犯すか、いやほど見て来たにちがいない。その一番の動機はお金。
お金がいかに人を惑わし、狂わせ、奈落に突き落とすかという暴力の現実をみてきたのだ。実際父も金持ちと貧乏という極端な変化を体験する家庭に育って、心身ともにふりまわされてきた。

大きな単位のお金が動く時代。それはけして人の背丈には合っていない額。いないが故にそこに不自然なものが浮かび上がる。世帯主が亡くなると、親子や兄弟が血みどろの争いを起こしはじめる。

「ないほうが幸せ」
莫大な財産を残した父親を亡くした友人が語った言葉は重かった。


父は私を決して浮き足立たせてはくれなかった。
それは父の生きて来た知恵だ。

『おまえの足で生きろよ』
そうメッセージをくれている気がした。

少しずつためていたとーちゃんのお金。
だいじに使わせてもらうよ。



2018年5月26日土曜日

優柔不断とやさしさと。



紺地に水玉模様のほっかむりをした初老のおばさんが野良仕事をしている。

薄緑色のエンドウのサヤをプチプチちぎりながら、彼女の心はちがう所にあった。

「何でわたしはこんなに薄情なんだ」
「何でこんなにうそつきなんだ」
「何でこんなに優柔不断なんだ。。。」

彼女は人とのやり取りの中で、いつも二つの意見を持っていた。
ひとつはその場の流れを乱さない意見。
もうひとつはまったくちがう視点からの意見。
そして選択されるのは、たいてい流れを乱さないほう。

すると彼女はそんな自分にちくりと針を刺す。
「このうそつき」
自分をのろいながら、会話の川にながされていく。
たまに嘘つきな自分に嫌気がさして、ちがう意見をなげてみる。
すると川の流れは急にぎこちなくなり、それまでの空気が変わってしまう。

「あ、やっちまった。。。」彼女はあせる。ドキドキしながら、また川がいつものように流れはじめるのを固唾を飲んで待つ。
そんな自分にもいやけがさしていた。

「これ、どっちも苦しいじゃないか」
ふいにエンドウをちぎっていた手が止まる。

空気を読んだ意見をいう自分を否定し、正直な意見を言う自分を後悔し、あげくにつねに二つの意見を持つ自分の優柔不断さをのろう。
何を選択しようとも否定していた。

その時、今まで考えたこともなかった言葉が出た。
「あ。わたしは、やさしいんだ。。。」

ちがう意見を持つのに人に合わせる意見を言う自分。それは優柔不断から来ているのではなく、ひとえに人を思う心から来ていた。そのことに気がついた瞬間、胸のあたりがふわっと軽くなった。


手にした白い粉が吹いたエンドウのむこうに、過去の出来事がみえた。

高校時代、門限は8時と決まっていた。
厳格な父の決めごとは死守すべきものだったが、ある時友人の恋愛相談をうけて、門限を30分おくれてしまった。

玄関で仁王立ちした父の顔は真っ暗で何もみえなかった。言い訳は聞き入れてはもらえない。間髪入れず鉄拳が飛んで来た。岩のようなげんこつを顔面に食らって、コンクリートの地面に吹っ飛んだ。

その夜、湯船につかりながら泣いた。
父が怖くて泣いたのではない。友だちを裏切ったことと、自分の力不足に泣いたのだ。
友人の恋は切実なものだった。泣いて訴える彼女を振り切って帰って来た自分。友人よりも父に殴られることを怖れた自分。結局どっちも失敗に終ってしまった現実。自身のふがいなさになさけなく、そして今も苦しんでいるであろう友人の心の痛手を思うと、涙が止まらなかった。
今思えば、それは友人を思うやさしい気持ちからの苦しみだった。


「わたしは今まで自分を冷たい人間だとばかり思っていた。。。」
目の前に草だらけの畑が広がる。この農法は草を刈り続ける。彼女は草を刈りながら、草にわびをし続けていた。
「ごめんよ。ごめんよ。でもあなたたちのおかげでおいしい野菜が食べられる。わたしはなんて勝手なんだ。おいしい野菜を食べたいが故に、あなたたちを育て、そして刈る。人間てなんて勝手なんだろうね。。。」
自分の勝手さをのろいながらも、この農法がやめられない。そういう自分をまたのろう。

でもそれに気づいていることもまた、草を思うやさしさからきているのではないか。

実際、彼女ははたから見たらやさしいひとではないのかもしれない。人の意見は千差万別。だけど大事なのは、彼女が自分をやさしいのだと自分自身を肯定したこと。

わたしはやさしい。
そう口にするたびに、心はふわっとなる。

いくつもの意見を同時に持つことは、物事を冷静に見れていることでもある。そしてその選択は吟味して選ばれたものであるのなら、それこそやさしさゆえではないか。
そうおもえた時、いくつもの分裂した意見は、ひとつの大きなものに統合された。

たわわに実ったウスイエンドウが彼女にほほえみかけていた。


2018年5月19日土曜日

落ち込んでるのん?

落ち込んでる、、と思ってたら、
心が静かなだけだった。

人はどっかで、明るい気分のほうがいいっておもってるよなあ。
ほんとはそう決めつけることもないのかもね。

じーっと暗闇にある池の表面を眺めている。
少し風が吹いて、水面がささささと、縮緬のように波打つ。

そこに感情の波を見る。
言葉にならない感情の細かな波。

あれは悲しみの波だ。
あ、あれは怒りの波だ。
今見えたのは、胸をぎゅっとさせるやるせなさ。
あれー嬉しがってる波もある。。。

感情の水面はいつも波立っている。
本当は一個じゃない。
ありとあらゆる感情が一緒くたになって、常に動いているのだ。

それに気がついたとき、
落ちこんでいると思っていた気分は、
ただ静かな感情があっただけだと知る。


2018年5月10日木曜日

親孝行のかたち



「おまえをよろこばせちゃろか」

父がうれしそうに電話をかけて来たのは、父の死の三ヶ月ほど前だった。
「うんうん、よろこんじゃる。何?何?」

年明け、父は退院して家に戻り、その後手厚い訪問看護を受けていた。そのいつも来てくれる看護士さんが、ある日私のこのブログを見つけたのだと言う。
「ウチにある絵を見て、彼女はおまえの絵のファンじゃが、ブログがしょうおもしろいがやと!」(注:しょう=とても/高知弁)

父が私をほめることは滅多にない。理由は「おまえはすぐに調子に乗る」から。
だからその彼がわざわざ私にそんなことをいいに電話をかけて来たのにはおどろいた。うれしそうに何度も同じ話をする彼の笑顔が手に取るようにわかる。

たかがブログでそんなによろこんでくれるなんて。。。
と思った時、はっとした。
あ。これが親孝行だ。


ずっと私は親孝行が出来ていないと思い続けていた。
親孝行とは、親を旅行に連れて行ったり、本を出したり、有名になったりして、
「お父さん、どお!?こんな本を出したよ!」とか「こんなに有名になったよ!」とかいって、
「おお!おまえはすごいなあ~」
というふうに親をよろこばすもんだと。


一度だけ、父との旅行を計画したことがあった。母と離婚したあとの父をよろこばそうと、自分なりのツアーを考えた。まずは鞆の浦の古びた街並と瀬戸内の鯛を堪能し、海の次は山陰の山奥にある奥津温泉にまで足を伸ばし、棟方志功が晩年よく通ったという旅館を用意。私は父とふたり、冒険気分で行く予定だった。

ところが直前になって、別れたばかりの母が「私も行く」と言い出した。
父と私の分だけを用意したお金は、母が参入する事になって足りない。
けっきょく母の分は父に出してもらうという、なんともかっこ悪いことに。これじゃ親孝行にならない。おまけにまさに犬猿の仲まっただ中のふたりのあいだに挟まって、あっちの機嫌、こっちの機嫌と、どっちものご機嫌とりに右往左往する私。

遊覧船に乗ったとき、横に並んだふたりの、互いにそっぽをむいた顔が今でもうかぶ。
そして鯛づくしの豪華な夕食も、母の口にかかっちゃイチコロだった。
「いや。これ冷凍の鯛や。おいしゅうない。。。」
鞆の浦名物の鯛料理にことごとくケチをつける母。一気に気分も盛り下がる。
やっぱり連れてくるんじゃなかった。。。。と後悔すること山のごとし。

しかし最後の奥津温泉での料理は、母を唸らせた。
まず器が良かった。昔ながらの古い本物の漆器を大切に使っていた。その上に美しく盛られた料理のほんとうにおいしいかったこと!目と口のうるさい母は、このすべてに感激する。あとのふたりもツラレて感激する始末。まったくこの一家は、いつまでも母のノリにふりまわされる。
そうはいいながらも、床に入り川からあふれてくるはじめてのカジカの声に耳を傾けながら、母もつれて来て良かったとおもったものだった。

だがこれが父への親孝行になったとは到底思えない。父があの時どんな思いをもっていたのかは今は知るよしもない。

そんないきさつもあり、私は一度も父に親孝行をしていないと思い続けていた。
しかし今、それがひょんなことから親孝行が出来てしまった。
お金もかけない何の努力もしていない、好きなように好きなことを書いているこのブログのおかげで。

なんだ。。。こんなことだったのか。。。
肩から力が抜ける。
彼のうれしそうな声を聞きながら、ああ、これでよかったのだと、心底安堵した。


あとから叔母に聞いた話。
「お兄ちゃんは、つくしちゃんの記事が掲載された高知新聞を、毎月大阪に送ってくれてたんよ。あんたは自慢の娘!」
その昔、毎月シリーズで高知新聞に私の記事が掲載されていた。父はそれを余分に買って、わざわざ親戚に送っていたのだ。

そんなことも知らなかった娘。父の思いと娘の思惑は、どうしてこうもずれるのか。
きっと世の中は、互いの思惑の違いで、心に後悔や罪悪感を抱える親子がいるにちがいない。ほんとうは親孝行なんて大仰な思いを抱える必要もなかったのではないか。
「ただあなたが元気でいてくれるだけでいい」そんな風に親は思っているのかもしれないし、また子は子で、「親がいてくれるだけでいい」そう思っているだけなのかもしれない。


いつのまにか私たちは形で示すのが愛の表現だと思いはじめた。
ほんとうは最初に愛があり、その表現として形にあらわれただけなのに、いつのまにか最初に形ありきになってしまった。形を示さなければそれは愛ではないというまでに。

そうして人は形ばかりにこだわってしまった。逆に言えば、形さえ繕っておけばいいという殺伐としたものにもなりうる可能性もあるのだ。口先だけ、形だけになる世界に。

そしてまたご多分に漏れず、それが私の思っていた親孝行の形であった。厳密に言えばそれは父への侮辱でもあったのだ。
愛はとてもシンプルなものかもしれない。何かをすることによって、そこにいることを許されるのではなく、ただそこにいるだけでいいのだ。

私の場合は、ただ自分が楽しんでやっていることを、人を介して父も楽しんでくれていた。
父は父自身が楽しむというよりは、人がそれを楽しんでくれているのを見て、幸せを感じる人であったように思う。
父の死の間際にそれが知れたのは幸運だった。


あの親孝行の一件から、私は何かが吹っ切れた。父にたいする後ろめたさも後悔も懺悔も消えていた。
親孝行してくれてありがとうと言われたわけでもないのに、父が心底よろこんでいくれていることに気づけた。ひょっとしたらあれが一年前であったなら、私は気づけなかったかもしれない。

ことは自然に起こる。
たとえ大事な人がいなくなったあとでも、ある日ふと気づきが起こる。
それは孝行したい相手が生きていようが死んでいようが、その人にあったベストなタイミングで。

そしてそれこそが、この世が愛に満ちているあかしではないだろうか。





2018年5月3日木曜日

母の煮物



「台所に煮物があるき、お皿に入れて持ってきて。」
私は赤絵の骨董品の小皿を選び、ガスコンロの上に乗っているお鍋のふたを開けた。

「味見してないけど、食べてみて」
大胆に切られた大根とジャガイモがゴツゴツと入っている。その上に大きな鮭の切り身が4枚綺麗に並んでいる。母の言う通り、味付けをしたあとかき回されたり味見をされたあともない。
「え~。これ、大丈夫?味見してからにしてや~」
いささか不安になった私はぼやいた。
「ええから。早う持ってきて」

テレビのある部屋のソファで座っている母に持っていく。
「早う。食べて」

昔はきれい好きだった彼女も、年をおうごとにいろんなことが億劫になってきた。高知に帰るたびに汚くなっていく住まい。汚すぎて触る気にもならない台所。シンクの上を小さなゴキブリが我が物顔でウロウロ。
ただでさえ食欲をそそらない場所で、ヨーグルトがあるから食べろだの、野菜ジュースがあるから飲めだの、あれこれ私に食べさせようとする。
そのあげく、味見もしてない煮物を私に食えと。

「拷問以外の何物でもないな。。」
いやいや食べた。
「あ。美味しい。。。」
「そやろ?」
ニヤッと笑う母。

よく見たら、大根の皮もジャガイモの皮もついたまんま。
「大根の皮ついてんのに、なんでこんなに柔らかいん?前もって茹でたん?」
「なーんもしてない。そのまんまゴンゴン入れて、煮付けて終わりよ。」
大根もジャガイモも鮭も皆それぞれが美味しい。大根から出たであろうちょうどいい甘さと塩加減。思わずおかわりした。

高校卒業後、高知を出て久しい。母の手料理は私の記憶から遠のいていた。それが父の容体悪化のため度々高知に戻ることになって、母と過ごす時間も増えた。彼女もずいぶん体の様子が悪い。複雑な思いを抱えながら帰る日々。
気楽な一人暮らしの彼女は、私が帰ることで何かしら緊張もするだろう。
先日もできるだけ母の手を煩わせないようにと、スーパーで買ってきたお惣菜を持っていった。

お惣菜を一口食べた母が言う。
「もういらん」
「え?食べないの?」
「うん。もうえい。あんた一人で食べて」
せっかく買うてきたのに。。。とブツブツ言いながら食べる私。

「お鍋にある煮物、持ってきて」と母。
台所で鍋のふたを開けると、赤い液体の煮物があった。
「何?この赤いの」
「ケチャップ」
「は?」
またまた変な組み合わせをしたもんだといぶかりながら、小皿に乗せてリビングに持っていく。
「食べて」

皮の付いたままのジャガイモと玉ねぎとくちゃくちゃに固まったままの豚。ケチャップで煮たという怪しげな物体を、半ばやけくそで口に押し込んだ。

絶句する。
これはやばい。
「これも、、ひょっとして味見してないが?」
「うん。朝煮たまんま。食べてもない」
かすかな酸味と和風の味付けが絶妙なコクのある絶品だった。

ついさっきまで美味しいと思って食べていたスーパーのお惣菜が、いきなりゴミにおもえる。
彼女が一口食べていらないと言ったわけだ。
もう一度食べくらべてみる。
まずい。
母の煮物を食べる。
うまい。
この違いは別次元だった。

何がちがうのかすぐにわかった。
「気」だ。
スーパーのお惣菜は、まったく気が入っていない。どんな味付けをされていようと、腑抜けなのだ。しかし彼女のはガツンと気が入っていた。

「味付けは何?」
「ケチャップとみりんとお醤油」
「それだけ?」
「それだけ」
出汁も何も入っていない。豚肉と皮付きジャガイモがコクを出していたのだ。
「これ、同じ方法で私がやったら、絶対腑抜けな味になるよ!」



美味しい食べ物は人を幸せにする。
それは味付けが上手とか、そういうことではなく、カタチではない何かしらのものがそこに入っているからではないだろうか。作る人の気持ちのようなもの。

スーパーのお惣菜がそれを教えてくれた。流れ作業の中で作られる料理には「気」など入れてられないのだ。
このごろ、なんとなくまずいなあと思いながらも、面倒なので買っていたスーパーのお弁当。これが理由だったのか。まるでエサのように感じられる。
しかし気の入った料理は身体に染み通ってくる。これこそが本当に栄養になっていくものじゃないだろうか。

母のアパートから東京に戻るとき、鍋にあったタケノコの煮付けを二、三個ほおばっていった。母にうながされることもなく自ら。
それはまるで中学生が学校に行く前のようだった。

「いってきま~す!」
という言葉が、自然に口から出た。