2018年5月3日木曜日

母の煮物



「台所に煮物があるき、お皿に入れて持ってきて。」
私は赤絵の骨董品の小皿を選び、ガスコンロの上に乗っているお鍋のふたを開けた。

「味見してないけど、食べてみて」
大胆に切られた大根とジャガイモがゴツゴツと入っている。その上に大きな鮭の切り身が4枚綺麗に並んでいる。母の言う通り、味付けをしたあとかき回されたり味見をされたあともない。
「え~。これ、大丈夫?味見してからにしてや~」
いささか不安になった私はぼやいた。
「ええから。早う持ってきて」

テレビのある部屋のソファで座っている母に持っていく。
「早う。食べて」

昔はきれい好きだった彼女も、年をおうごとにいろんなことが億劫になってきた。高知に帰るたびに汚くなっていく住まい。汚すぎて触る気にもならない台所。シンクの上を小さなゴキブリが我が物顔でウロウロ。
ただでさえ食欲をそそらない場所で、ヨーグルトがあるから食べろだの、野菜ジュースがあるから飲めだの、あれこれ私に食べさせようとする。
そのあげく、味見もしてない煮物を私に食えと。

「拷問以外の何物でもないな。。」
いやいや食べた。
「あ。美味しい。。。」
「そやろ?」
ニヤッと笑う母。

よく見たら、大根の皮もジャガイモの皮もついたまんま。
「大根の皮ついてんのに、なんでこんなに柔らかいん?前もって茹でたん?」
「なーんもしてない。そのまんまゴンゴン入れて、煮付けて終わりよ。」
大根もジャガイモも鮭も皆それぞれが美味しい。大根から出たであろうちょうどいい甘さと塩加減。思わずおかわりした。

高校卒業後、高知を出て久しい。母の手料理は私の記憶から遠のいていた。それが父の容体悪化のため度々高知に戻ることになって、母と過ごす時間も増えた。彼女もずいぶん体の様子が悪い。複雑な思いを抱えながら帰る日々。
気楽な一人暮らしの彼女は、私が帰ることで何かしら緊張もするだろう。
先日もできるだけ母の手を煩わせないようにと、スーパーで買ってきたお惣菜を持っていった。

お惣菜を一口食べた母が言う。
「もういらん」
「え?食べないの?」
「うん。もうえい。あんた一人で食べて」
せっかく買うてきたのに。。。とブツブツ言いながら食べる私。

「お鍋にある煮物、持ってきて」と母。
台所で鍋のふたを開けると、赤い液体の煮物があった。
「何?この赤いの」
「ケチャップ」
「は?」
またまた変な組み合わせをしたもんだといぶかりながら、小皿に乗せてリビングに持っていく。
「食べて」

皮の付いたままのジャガイモと玉ねぎとくちゃくちゃに固まったままの豚。ケチャップで煮たという怪しげな物体を、半ばやけくそで口に押し込んだ。

絶句する。
これはやばい。
「これも、、ひょっとして味見してないが?」
「うん。朝煮たまんま。食べてもない」
かすかな酸味と和風の味付けが絶妙なコクのある絶品だった。

ついさっきまで美味しいと思って食べていたスーパーのお惣菜が、いきなりゴミにおもえる。
彼女が一口食べていらないと言ったわけだ。
もう一度食べくらべてみる。
まずい。
母の煮物を食べる。
うまい。
この違いは別次元だった。

何がちがうのかすぐにわかった。
「気」だ。
スーパーのお惣菜は、まったく気が入っていない。どんな味付けをされていようと、腑抜けなのだ。しかし彼女のはガツンと気が入っていた。

「味付けは何?」
「ケチャップとみりんとお醤油」
「それだけ?」
「それだけ」
出汁も何も入っていない。豚肉と皮付きジャガイモがコクを出していたのだ。
「これ、同じ方法で私がやったら、絶対腑抜けな味になるよ!」



美味しい食べ物は人を幸せにする。
それは味付けが上手とか、そういうことではなく、カタチではない何かしらのものがそこに入っているからではないだろうか。作る人の気持ちのようなもの。

スーパーのお惣菜がそれを教えてくれた。流れ作業の中で作られる料理には「気」など入れてられないのだ。
このごろ、なんとなくまずいなあと思いながらも、面倒なので買っていたスーパーのお弁当。これが理由だったのか。まるでエサのように感じられる。
しかし気の入った料理は身体に染み通ってくる。これこそが本当に栄養になっていくものじゃないだろうか。

母のアパートから東京に戻るとき、鍋にあったタケノコの煮付けを二、三個ほおばっていった。母にうながされることもなく自ら。
それはまるで中学生が学校に行く前のようだった。

「いってきま~す!」
という言葉が、自然に口から出た。





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