さて、夏使用の畑であります。
GWの頃に植え付けた夏野菜の苗。島村ファームってところで購入。どこで作っているのかわからないホームセンターの苗と違って、ここはじぶんところで作っているようす。店らしきものはなく、でっかいビニールハウスの中から直接苗を自分で選んできて、ビニールハウスの前で買う。安い。
去年はここで買ったピーマンとトマトの苗のおかげでたらふく食えた。苗は元気なようだ。
だが一方、やまんばのちょーへたくそ無肥料栽培のおかげで、ナスもキュウリも全滅。なーんにもありつけないありさま。
汚名返上、今年も一回トライ!
。。しかしいきなりキュウリとズッキーニとスイカの苗にウリハ虫ちゃんが総攻撃。見る見るうちに、あでやなかレーシーな苗に。。。。ああ、これは去年の二の舞だあ。。。。。
やまんばは考えた。
これはきっと、苗を育てている肥料たっぷりの土のせいに違いない!窒素かなにかのにおいがぷうんとキュウリやズッキーニの葉っぱからただよって、それにつられてウリハちゃんがやって来るに違いない!そうだ、きっとそうに決まっている。とすれば、肥料無しで育てているうちのズッキーニなら食われないに違いない!
そうおもって、レーシーなズッキーニのあいだに、これまた貧そなやまんばが無肥料で育てたズッキーニの苗を植える。3時間後、畑にもどってようすをみる。
がーん!
あっという間に無肥料栽培ズッキーニちゃんが、みるもむざんなレーシーなお姿に。。。
だめっ、だめっ、だめっ。
ぱっぱと手で虫をはらう(基本殺さない主義)。プ〜んとどっかに飛んでいき、またすぐもどってくる。むなしい抵抗。。。じぇんじぇん肥料のせいじゃないじゃ〜ん。勝手な仮説、無惨に崩御。
畑の先輩の妖怪にもらった不織布で、とりあえずスイカとズッキーニの苗をおおってみる。ちょっと窮屈そうだが、しばしガマンしてもらうことにする。
さて、一日経ち、二日経ち、三日経った。
狭い不織布の中で、ズッキーニちゃんは青い葉っぱを出し始めた。スイカちゃんとこも黄色い花が咲き始めた。
支柱にくくりつけてあるので不織布がかけられず、ほったらかしにしておいたキュウリの苗ちゃん。なぜかウリハ虫が消えていた。
え、もういなくなっちゃったの?それとも単に気まぐれ?
やまんばは、まよう。
このまま大きくなるズッキーニに不織布をかけておくことはむずかしい。でも外してまたまたウリハちゃんに総攻撃されるのもやだ。
色々ネットで調べると、慣行農法よりも自然栽培的なウリ科の苗の方が、ウリハ虫にやられやすいらしい。
「迷ったときはそのままにしておけ。」
川口さんのコトバが頭をよぎる。
迷い農法、どこへいく。
2012年5月22日火曜日
2012年5月16日水曜日
昔日記ってつけてたよねえ

その日一日の出来事が走馬灯のようにぐるぐる回って、なかなか眠れないことってない?
特になれない場所にいったり、大勢の人に会ったりした夜は、その日のいろんなシーンが巡って寝ているのか起きているのかわからなかったりする。
やまんばは最近やっていることがある。
夜寝る前に、その日一日起きた出来事を、朝から順を追って思い出す。すると朝までぐっすり眠れるのだ。ふしぎ。
やってみるとわかるけど、その日の出来事なのに、なかなか思い出せないものだ。だけどだいたいでいいようだ。
朝起きてえ~、えーと、ねぼけてころびそーになってえ~、、え~とっと。それからなんだっけ?ああ、服着て、朝ご飯の用意して。。。。あれ?それからなんだっけ?といいながら、断片的にでも思い出していく。するとたいてい夜にいたるまでに寝ちまっている。夜中に目が覚めることもない。たったこれだけのことなのに。
これは一体どういう現象なのだ。
昔日記というものをつけたよなあ。
これって、ひょっとしたら、やまんばがやっていることと同じ作用をしているんじゃないだろうか。つまりその日一日起きたことをふりかえることによって、出来事を「消化」しているんではないか。子供のときは日記つけることを義務にされていたところがあったけど、じつはその子の中での出来事の消化をうながしているんだとしたら、日記って深い意味があったんじゃないだろうか。
今は大人で日記つけている人少ないと思うけど、昔はよくいたよね、日記つけている大人。一般的には、文章がうまくなるとか、記憶力が増すとか、細かいこと思い出すことができるとか、そうゆう理由づけされているけど、本当は何か他のところに意味があるのかもしれん。
人は死ぬとき、その人の一生をものすごいスピードでふり返るらしい。それもこの寝る前にやる一日の出来事を思いだすことと似てないか?
物質として生まれてきているあいだに巡ってきた出来事を、物質としてはなれる前に消化しているのかもしれん。消化し終わって始めて、消化が、浄化になるのかもしれん。
ということは、私たちは日々起きている出来事を、消化というか浄化しながら生きるのは、何かの衛生上必要なことなのかもしれない。
これも「過去に死ぬ」ってことなんじゃないかな?なんておもうのであった。
確かシュタイナーもおなじこといってたなあ。でも彼の場合、逆まわししろと言ってたような気がする。朝からより、今起こったことから始める方がおもいだしやすいかもね。でも途中から、え?どっちが先だっけ?ってわからなくなる(笑)。
ようするにどっちでもいいような気がする。
絵:「社長の勉強法」MF新書表紙イラスト
2012年5月14日月曜日
過去に死ぬ

過去に死ねたらどんなにいーだろーなー。
過去はいい思い出もあるけど、頭ん中でぐるぐるすることは、たいていやなことばっかりなんだもん。
あんときあいつがああ言ったとか、あんとき私があんなことしてしまったとか、すると、ああしなきゃよかったとか、あんなことされるのはもうまっぴらごめんだとか、過去を振り返って、勝手に未来を予測して、今、目の前で起こってもいないことで心配して、ああじゃない、こうじゃないと、心は無意識に騒ぐ。そんなことが、頭の中でひっきりなしにおこなわれているのが、現代人じゃないだろうか。
昔は無心になれとか、心の静けさを保てとか、よく耳にしたが、今、そんな言葉は日常的には聞かれない。いったとしても言葉の上滑りするだけで、じっさい心が静でいられるかっちゅーと、まったく正反対だ。四六時中心は騒いでいる。
それは私らは、「過去」に生きているからなのだ。1時間前のことも、10年前のことも、今さっき起こったことのように後生大事に抱えているのだ。
昔、近所の工事の警備で、ある警備員さんが道路脇に立っていた。
彼は一日中、横に誰がいるわけでもないのに、いつも誰かにむかってずーっとしゃべっていた。頭がおかしいのかなあ?とおもったが、ダンプカーが来ると、ちゃんと誘導している。私が挨拶しても、ちゃんと応える。そしてまた一人になると誰かとしゃべり始める。
フツー、そーゆー人は、頭がおかしい人、としてあつかわれるが、仕事はちゃんとできている。だからこーゆーのは、頭がおかしい人、といえるのだろうか?
でもよく考えたら、私たちも同じように心の中で四六時中しゃべっているではないか。それを口に出すと、そのおじさんのように「妙におかしな人」と見えるだけなのではないか。するとおじさんと私たちのあいだに何が違いがあるかと言うと、「口に出す」のと「口に出さないで心でしゃべっている」の違いしかないのではないか。
するとそれは、KYな人(まわりの空気読まない人。人にどう見られているか気にならない人)ぐらいのレベルでしかないのか?
おじさんは、過去にとらわれている。
過去に起こった気に入らない出来事にぶつくさ文句を言っている。それは自分を正当化するためだ。
思考はそれをただ繰り返すだけで、そこに解決は見つけられない。それはちょうど、二次元の世界にいる人間が、二次元の問題を解決するために二次元にふみどとまって問題を解決しようとするようなもんだ。二次元の問題は、それを外から見る事によって、その全体像が見えてこそ解決の道が開ける。そのためには三次元からそれを観なければいけない。
それと同じように、思考という二次元の方法論(三次元かもしれんが)でもっては、いつまでもその問題は解決されないだろう。出来たとしても、どこかに矛盾を生じているはずだ。そこから全体像は見渡せないからだ。
過去に生きていたら、あいつのことや自分のことが気に入らない。
でも過去に死んだら、あいつがやったことも自分がやったことも問題ではなくなる。今そこにいるその人を、過去のフィルターを通してみることなく、今目の前にいるその人そのものだけと対話できるのだ。自分の過去のフィルターを通して自分を見るということもしなくなる。
すると垂れ流しにされている大量の思考で心のエネルギーを消耗することもなくなる。人はそのときそのときだけを観て、生きるようになる。
するとみんなの心が平穏になっていがみあいが減り、この世は平和になるんだけどなあ〜。
絵:「名刺は99枚しか残さない」MF新書表紙イラスト
名刺ってやたらめったらもっちゃうよねえ。ほんでもって、いっぱいもってるとどっかで「あたしってエライ!」っておもっちゃうけど、よーく考えたら使われている名刺はほんの少ししかない。それを見極めてどう有効に使うかという画期的な本なのだ!
2012年5月6日日曜日
あなた人糞派?
みなさま、ゴールデンウィークはいかがおすごしでしたでしょーか。
やまんばは、仕事、畑、のんべ。仕事、畑、のんべ、を繰り返しておりました(なんだ、いつもとかわんねえじゃねえか)
しかし畑、といっても雨雨雨。ここまで雨だらけのGWもまためずらしいことで。びしょぬれ美人になって、自然のエネルギーを味わわせていただいておりました。
今日もまいううーぱぱさんのおおママと一緒に野良仕事。
雷が鳴りだしたとたん、間髪入れずに、どっばあ〜んと大雨。クモの子を散らすようにそれぞれ洗濯物を取り込みに家に突っ走った。いや、ハシッタハシッタ、久しぶりに。で、ひーひーいいながら帰り着くと、ぴっかーんと晴れてやがる。くそ。なんやねん、今の雨。で、また野良仕事。しばらくたつとまたまた雷。「来るぜー、来るぜー、また降るぜー」とやるきたっぷりのおおママさんと、後ろ髪引かれながら、家路につく。
途中、知り合いの畑を通る。おじさんが畑の横にたっていた。
私の姿を見て、あわててズボンのジッパーを上げる姿が、樹々の葉っぱの間から見えた。(めざとい)
あ、今しょんべんしたな、キュウリの畝に。
やまんばは、全く気がつかなかったフリ。
「すごい天気ですねえ。また降りそうですよー!」
といいながら、そそくさとその場を離れる。おじさんは気まずそうに笑った。
確か去年も、キュウリの畝だったなあ。
畝の横で腰を振っているのを後ろから見つけた。おじさんはキュウリの畝にしょんべんをかけるのを日課としているのかもしれん。
有機肥料にも牛派と鶏派、はたまた豚派、ときどき馬派なんてあるけれど、おじさんはやっぱ人糞派なのか。このばあい人尿派というのか。。。?
そういえば、一部の畝のキュウリの双葉だけが、異様に緑が濃く大きい。前にあそこにかけたんだな。
やまんばたちの畑は、なーんにもいれちょらん。どーなるんだろーなあ。
昨日定植したキュウリの苗に、どこから飛んできたのか、ウリハ虫がぴたっと止まって葉っぱを物色していた。今日はズッキーニとかぼちゃとスイカも定植。ウリハちゃんがうはうは喜ぶやつばっかりだ。
さて、どーなりますことやら。
やまんばは、仕事、畑、のんべ。仕事、畑、のんべ、を繰り返しておりました(なんだ、いつもとかわんねえじゃねえか)
しかし畑、といっても雨雨雨。ここまで雨だらけのGWもまためずらしいことで。びしょぬれ美人になって、自然のエネルギーを味わわせていただいておりました。
今日もまいううーぱぱさんのおおママと一緒に野良仕事。
雷が鳴りだしたとたん、間髪入れずに、どっばあ〜んと大雨。クモの子を散らすようにそれぞれ洗濯物を取り込みに家に突っ走った。いや、ハシッタハシッタ、久しぶりに。で、ひーひーいいながら帰り着くと、ぴっかーんと晴れてやがる。くそ。なんやねん、今の雨。で、また野良仕事。しばらくたつとまたまた雷。「来るぜー、来るぜー、また降るぜー」とやるきたっぷりのおおママさんと、後ろ髪引かれながら、家路につく。
途中、知り合いの畑を通る。おじさんが畑の横にたっていた。
私の姿を見て、あわててズボンのジッパーを上げる姿が、樹々の葉っぱの間から見えた。(めざとい)
あ、今しょんべんしたな、キュウリの畝に。
やまんばは、全く気がつかなかったフリ。
「すごい天気ですねえ。また降りそうですよー!」
といいながら、そそくさとその場を離れる。おじさんは気まずそうに笑った。
確か去年も、キュウリの畝だったなあ。
畝の横で腰を振っているのを後ろから見つけた。おじさんはキュウリの畝にしょんべんをかけるのを日課としているのかもしれん。
有機肥料にも牛派と鶏派、はたまた豚派、ときどき馬派なんてあるけれど、おじさんはやっぱ人糞派なのか。このばあい人尿派というのか。。。?
そういえば、一部の畝のキュウリの双葉だけが、異様に緑が濃く大きい。前にあそこにかけたんだな。
やまんばたちの畑は、なーんにもいれちょらん。どーなるんだろーなあ。
昨日定植したキュウリの苗に、どこから飛んできたのか、ウリハ虫がぴたっと止まって葉っぱを物色していた。今日はズッキーニとかぼちゃとスイカも定植。ウリハちゃんがうはうは喜ぶやつばっかりだ。
さて、どーなりますことやら。
2012年5月2日水曜日
風邪ひいた〜

久しぶりに風邪を引いた。
キホン、バカは風邪引かないはずなので、びっくらこいた。
一日ホゲーッと寝てた。ときどき土砂降りの音で目をさます。カーテンを開け放ち、緑舞い狂う風景をバックに大粒の雨を眺める。うつくしいなあ。
なんで風邪引いたんだろ。
実は前の晩、自分の思考のクセにオモイックソ気がつかされた。
がくぜんとする。腰砕けになる。
自分をけなす思考は、あらゆるシワのシワの奥の奥までひそんでいた。自己嫌悪、自己非難、罪悪感。つねにそれで自分をおし量り、それをすることによって、自分はここにいていいのだと言う、かってな自己確認をしていたのだ。
これは間違いなく、小さい時からの親のしつけや学校でのいじめから、自動的に理想の姿はこれこれこういうものであって、今の自分はだめなんだという思い込みから来ている。だからつねに自分をさばく行為をしているのだ。
まさかここまでとは。。。というおもいで、眠れなくなった。
悶々とするおもいで夜中に目をさます。カジカが鳴いている。窓を開けてじーっとカジカの声に耳をすます。全身でカジカの声を聞いていた。。。
悶々とする。。。
ほら、またでた。これも自分をさばく気持ちから来ている。
「罪悪感を持つ。。そんなことじゃイケナイじゃないか」
というおもいもまた、自己嫌悪ではないか。あわわ。これが思考の罠だ。そうやって心はつねにクルクルとかたちを変えて、思考の罠にはめていこうとする。思考さんがおいでおいでをする。
罪悪感をもつことはわるいことではない。「あっ、これいけなかったんだ」と気がつき、どこがわるいのか理解をして、次回からそれを繰り返さないために必要なものだ。だが、この自分がやった行為を真正面から観る、という行為がこりゃまた苦しいのだ。なかなか心が逃げずに、やった行為をきっちり観るってきついとおもわない?
するとそこへ思考さんが登場する。思考は、本人がそれを直視できないもんだから、ちょっと視点をずらして、罪悪感や自己嫌悪をもつというおもいだけをくりかえしてあそぶ、というへんなことをするのだ。(問題は罪悪感でも自己嫌悪でもなく、やった行為のことなのに)
なんでや?
それは思考さんが「ここにいるわたしをわすれないで〜」と、言って来るからだ。そじゃないと思考さんは自分のいる場所が見つけられないのだ。(ホント言うと、そんな場所いらないんだけど)
だがそれにつられてなんどもやるというのは、何の意味も持たないのだ。その行為は、「誠実ないい人間だ」とおもいがちだけど、じつは「罪悪感もつあたしってえらいでしょ?ね?だからあたし、この世にいていいんだよね?」と自分で自分に確認をとっているだけなのだ。要するに自分に言い訳を繰り返しているだけの行為になってしまっているのだ。だけど聞いてる本人が、つねに罪悪感や自己嫌悪をもっているのだ。だから今までもこれからも「うん、いていいよ」とは一生言ってはくれないのだ〜。が〜ん。
熱出そうでしょ?
え?でない?
絵:MF新書表紙『武士マニュアル』
2012年4月29日日曜日
忙しー畑(仕事せんかいっ)
畑がきゅうにいそがしくなってきた。
長かった今年の冬。やっと春になったかと思えばいきなり寒くなるし、あれ?春はどこへ行った?と思ってたら、いきなり夏じゃないですか!これじゃまるでニューヨークの春。
ニューヨークの春は、あれ?そろそろかな?いや、まだ寒いな。もーそろそろかな?いや、これじゃまだ冬だ。。。と言っているうちに、あーーーっ、夏になっちゃったあー!と、ニューヨークの春は、過ぎ去ってから「ああ、あれが春だったのねん」と、思い返すもの、なのだ。
それといっしょになっちまった。。。ぐぐぐ。。春は大好きな季節なのにい。
んだもんだから、畑は大忙し。いっきに草たちがぐんぐん伸びてくれる。私に申し合わせたかのように、ビンボー草が畑をおおいつくす。よけいなおせわじゃ。(ハルジオンってやつですね)やまんばがお金持ちになったら、出なくなるんかいな。小首をかしげた状態なので、これを食うとうまいはず。でもメンドー臭いのでばっさばっさとカット。それをマルチ代わりにする。
今回はなんと、無肥料栽培にむかって進んでいる(どこへいくんや)。
草を根っこから取って、グレンとひっくり返した土に種を蒔く。今まで双葉の段階で虫に食われていたものが、それをやりはじめてから食われなくなった。
でも、、、茶色い土が丸だしになるとそこからでるわでるわ、つくしちゃん、すぎなちゃん。おもいっくそ酸性土じゃん。それもぶちぶち引っこ抜いて、野菜さんだけにとりあえず小さいうちは育ってもらうことにする。一回ぐらいはフツーに育ったお野菜ちゃんを拝みたいではないか。(どんだけレベル低かったの?)
じーっとおもいだしたのだ、一番最初の畑。
小松菜が小松菜の親分さんになった(背丈70センチ)。きゅうりがわんさかなった。なぜだ?そりゃ、5、6年放置されていた畑の残りの肥料が育てたと言える。しかしそれだけなのだろうか?だったら、その一年後に無惨に何も育たなくなるだろうか。5、6年経って残っていた肥料が、たった一回の野菜育てただけで、消えてしまうんだろうか。わからない。なんかやりかたがちがう。。。きっと何かやまんばが見落としているものがあるに違いない。
迷い農法はひたすら続くのであった。。。
長かった今年の冬。やっと春になったかと思えばいきなり寒くなるし、あれ?春はどこへ行った?と思ってたら、いきなり夏じゃないですか!これじゃまるでニューヨークの春。
ニューヨークの春は、あれ?そろそろかな?いや、まだ寒いな。もーそろそろかな?いや、これじゃまだ冬だ。。。と言っているうちに、あーーーっ、夏になっちゃったあー!と、ニューヨークの春は、過ぎ去ってから「ああ、あれが春だったのねん」と、思い返すもの、なのだ。
それといっしょになっちまった。。。ぐぐぐ。。春は大好きな季節なのにい。
んだもんだから、畑は大忙し。いっきに草たちがぐんぐん伸びてくれる。私に申し合わせたかのように、ビンボー草が畑をおおいつくす。よけいなおせわじゃ。(ハルジオンってやつですね)やまんばがお金持ちになったら、出なくなるんかいな。小首をかしげた状態なので、これを食うとうまいはず。でもメンドー臭いのでばっさばっさとカット。それをマルチ代わりにする。
今回はなんと、無肥料栽培にむかって進んでいる(どこへいくんや)。
草を根っこから取って、グレンとひっくり返した土に種を蒔く。今まで双葉の段階で虫に食われていたものが、それをやりはじめてから食われなくなった。
でも、、、茶色い土が丸だしになるとそこからでるわでるわ、つくしちゃん、すぎなちゃん。おもいっくそ酸性土じゃん。それもぶちぶち引っこ抜いて、野菜さんだけにとりあえず小さいうちは育ってもらうことにする。一回ぐらいはフツーに育ったお野菜ちゃんを拝みたいではないか。(どんだけレベル低かったの?)
じーっとおもいだしたのだ、一番最初の畑。
小松菜が小松菜の親分さんになった(背丈70センチ)。きゅうりがわんさかなった。なぜだ?そりゃ、5、6年放置されていた畑の残りの肥料が育てたと言える。しかしそれだけなのだろうか?だったら、その一年後に無惨に何も育たなくなるだろうか。5、6年経って残っていた肥料が、たった一回の野菜育てただけで、消えてしまうんだろうか。わからない。なんかやりかたがちがう。。。きっと何かやまんばが見落としているものがあるに違いない。
迷い農法はひたすら続くのであった。。。
2012年4月22日日曜日
ディープな八王子ラーメン
地元のおじさんに(おにいさんか?)、行きつけのラーメン屋さんを教えてもらう。
「ああ、あそこのはねえ、もうサイコー!」
何でも八王子ラーメンとしては代表格らしいのだ。ひとしきりその店の味の魅力を語って、
「さあ、今から食いにいこ」
と、ふじだなコーヒーを出た。
いつもいくふじだなコーヒーさんには、地元のおっちゃんたちが集まる。おっちゃんといっても心は少年。だから兄ちゃんと言わないといけない。いろんな情報が集まって来るので、ここに足を運ばないことには地元は語れない。だから足繁く通うのだ。
さて、やまんばも家に帰ってから、そのラーメンが食いたくなった。ダンナと二人で未知の世界に出かける。
八王子インターにむかう通りから、ある汚ーい感じの本屋の脇の道を入る。
いきなりディープな世界に突入だ。
車一台通れば人は歩けないくらいせまーい道を、おっかなびっくり走る。曲がりくねって突き当たりにラーメン屋の駐車場。15台も置ける広いスペースを完備。さぞかし大きな店なのだろうと予測。さて、みわたしても店がわからない。→の看板があるので、そっちにむかう。
だが、あたりにラーメン屋らしきものは見当たらない。ただの狭ーい住宅がぎっしり並んだ路地だ。おそるおそる直進する。すると店とも思えない建物に、薄茶色ののれんがぴらぴらとかかっているのを発見。よく見ると、小さな字で店の名前が書いてあった。
あったあった。
おそるおそるガラスのドアを開く。お客さんがぎっしり。
「あいてるところにどーぞー」
とちょっと変な発音のお姉ちゃんにすすめられるが、どこにも座るところはない。しばしつったってると、一番奥の席が空いた。
緊張しながら座る。と、席のすぐ横にガラス。なにげにその奥を見ると、イノシシと目が合った。はっとして目をそらすと、私のすぐ隣に子鹿がいた。ぎょっとして見上げると大きなシカが。なんとりっぱな角には色あでやかに着色されたひょうたんがふたつ両角にぶらさがっていた。こっこれは、シカのイヤリングなのであろうか?誇らしげに遠くを見つめている。ガラスのショーウインドウの中には、ありとあらゆる剥製がところ狭しと飾られている。。。というか、無造作に置かれているというか。。。口があいたまま締まらなくなったやまんばは、そのままぐるっと店内を見渡す。すると反対側の壁にも巨大なイノシシの顔がつきでている。その頭には中国風のあでやかな色の丸い帽子がのっかっていた。
こっ。。この野生動物たちを見ながらラーメンを食うのか。。。いや、見られながら食うというべきか。。。
なぜか後ろめたーい気分になりながら、まっ茶色のラーメンをすすった。
うわ。。。ディープ。。。
これでもかというくらい濃い醤油ラーメンであった。麺は今ハヤリのコシが強いのと真反対。とろとろのゆるゆる。。。しかしそれがこのこーい醤油ラーメンにからんで、みょーにうまいのだ。シャーシューはまあまあかな。メンマはうまかったなあ。
しかしあれに普通のネギだったら、やまんばはもっとうれしかったなあ。どうも八王子ラーメンのネギの変わりにタマネギって言うのが、まだなれないのだ。
でもみょうにあとをひく、不思議ーなラーメンであった。。。
店を出ると、表に色あせた縁台がずらっとならべてあった。多分こここそが行列のできる店なんだろう。
いや、八王子はディープじゃのう。
「ああ、あそこのはねえ、もうサイコー!」
何でも八王子ラーメンとしては代表格らしいのだ。ひとしきりその店の味の魅力を語って、
「さあ、今から食いにいこ」
と、ふじだなコーヒーを出た。
いつもいくふじだなコーヒーさんには、地元のおっちゃんたちが集まる。おっちゃんといっても心は少年。だから兄ちゃんと言わないといけない。いろんな情報が集まって来るので、ここに足を運ばないことには地元は語れない。だから足繁く通うのだ。
さて、やまんばも家に帰ってから、そのラーメンが食いたくなった。ダンナと二人で未知の世界に出かける。
八王子インターにむかう通りから、ある汚ーい感じの本屋の脇の道を入る。
いきなりディープな世界に突入だ。
車一台通れば人は歩けないくらいせまーい道を、おっかなびっくり走る。曲がりくねって突き当たりにラーメン屋の駐車場。15台も置ける広いスペースを完備。さぞかし大きな店なのだろうと予測。さて、みわたしても店がわからない。→の看板があるので、そっちにむかう。
だが、あたりにラーメン屋らしきものは見当たらない。ただの狭ーい住宅がぎっしり並んだ路地だ。おそるおそる直進する。すると店とも思えない建物に、薄茶色ののれんがぴらぴらとかかっているのを発見。よく見ると、小さな字で店の名前が書いてあった。
あったあった。
おそるおそるガラスのドアを開く。お客さんがぎっしり。
「あいてるところにどーぞー」
とちょっと変な発音のお姉ちゃんにすすめられるが、どこにも座るところはない。しばしつったってると、一番奥の席が空いた。
緊張しながら座る。と、席のすぐ横にガラス。なにげにその奥を見ると、イノシシと目が合った。はっとして目をそらすと、私のすぐ隣に子鹿がいた。ぎょっとして見上げると大きなシカが。なんとりっぱな角には色あでやかに着色されたひょうたんがふたつ両角にぶらさがっていた。こっこれは、シカのイヤリングなのであろうか?誇らしげに遠くを見つめている。ガラスのショーウインドウの中には、ありとあらゆる剥製がところ狭しと飾られている。。。というか、無造作に置かれているというか。。。口があいたまま締まらなくなったやまんばは、そのままぐるっと店内を見渡す。すると反対側の壁にも巨大なイノシシの顔がつきでている。その頭には中国風のあでやかな色の丸い帽子がのっかっていた。
こっ。。この野生動物たちを見ながらラーメンを食うのか。。。いや、見られながら食うというべきか。。。
なぜか後ろめたーい気分になりながら、まっ茶色のラーメンをすすった。
うわ。。。ディープ。。。
これでもかというくらい濃い醤油ラーメンであった。麺は今ハヤリのコシが強いのと真反対。とろとろのゆるゆる。。。しかしそれがこのこーい醤油ラーメンにからんで、みょーにうまいのだ。シャーシューはまあまあかな。メンマはうまかったなあ。
しかしあれに普通のネギだったら、やまんばはもっとうれしかったなあ。どうも八王子ラーメンのネギの変わりにタマネギって言うのが、まだなれないのだ。
でもみょうにあとをひく、不思議ーなラーメンであった。。。
店を出ると、表に色あせた縁台がずらっとならべてあった。多分こここそが行列のできる店なんだろう。
いや、八王子はディープじゃのう。
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