自分の心に正直になる。
これがすべての鍵だ。
自分の中を見れば見るほど、隠されてきた思いが浮上してくる。
聖霊は、その人のその時の心の強さの度合いによって、
隠されていた思いを浮上させて、見せてくれている。
だからふいにある感情になってもたじろぐことは必要ない。
自我の心は、こう言う状況になったから私はこんな感情になったと、
その原因を状況のせいだと言ってくるだろう。
その自我の側に立って、その状況を変えようとするのか。
それとも聖霊の心の側に立って、
その感情をあなたは持っているのだから、
それを見てくださいと言われていると自覚しようとするのか。
物理的に見えている私を感情的にさせる原因は、
本当は物理的な現象が原因ではない。
あなたの中にある悲しみ、苛立ち、みじめな思い、
その思いを直視するためにある。
その原因は、その心にあると教えられている。
「私は今みじめな気持ちになっています」
そう聖霊に伝える。
その思いを消し去ろうとするのではなく、
それと共にいる。
その思いを受け入れる。
ただ静かにその思いと一緒に。
それが消えていくこともあるだろう、
消えずにずっと苦しいままでいることもあるだろう。
でもそれも拒絶しないでいてみよう。
そこに何かが起こっているようなのだ。
その何かは私たちにはわからない。
それでいいのだ。
苦しいから気分を変えようとする、
苦しいから楽しいことにフォーカスしようとする、
苦しいからそれを退けようとする、
苦しいからなかったことにする、
苦しいからこれは幻想だと言い聞かせようとする、
そうしようとしている自分に気づいている。
それさえも赦す。
受け取る。
その地味~な心の作業が、何かを起こしている。
洞察が起こる。
なぜ自分がみじめな思いに至ったかを知り始める。
そんな自分をいたわるようになってくる。
自分を愛し始める。
自分をごまかさない。
自分の心に正直に向かう。
受けとめる。
こんな小さな自分なのに、
心の中はとてつもなく巨大だ。


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