2、3日前の夜、夢を見た。
目の前に長く黒いコートを着た背の高い男の人が座っている。
顔はよくわからない。しかし私はその存在に強く惹きつけられた。
なんの会話もないまま、彼は私を地下のレストランに誘う。
「いや、私には旦那がいるし、、、いいんだろうか、、、」
とか後ろ髪を引かれながらも、うす暗いらせん階段を彼の後について降りていく。
というところで目が覚めた。
目が覚めてもその衝動は心に残っている。
あんなに惹きつけられるってなんだろう?
顔もわからない、ただそこにいるだけの存在に、なぜ私はこうも魅了されているのか。
ものすごい吸引力だった。
黒いし暗いし、下に降りていくし、あれは魔物?自我の塊?
でも下に降りていけばいくほど、神に近づくのもまた真理。。。
この夢の話を友達にすると、
奇跡のコースのテキストの一文を教えてくれた。
「自我の土台よりもさらに深いところにあって、
常にそれよりも強きものであり続けるのが、
神に対してあなたが抱いている激しく燃えるような愛であり、
神からあなたへの同様の愛である。
これがあなたが真に隠しておきたいものである。」
テキスト第13章Ⅲ2、8
あの存在はイエスだろうか?聖霊だろうか?
と考えていたが、自分の中にある、自分を愛する存在なのではないかと思い至った。
そう考えた時、とても安堵した。
そんなにも私を愛している存在が私の中にある。
それほど心強いことはないと感じた。
海の底の底にあるハッチを開けると、
そこは即神の世界だったというデービッドの言葉もある。
私はその存在に、底の底に行けとうながされていたのか。
町会の夏祭りが終わった夜、穏やかな気持ちで眠りについた。
そして夜中目がさめる。
心の中に不安が満ち溢れていた。
ピリピリと落ち着かない心は、自分の中の何かを探している。
それはなんというべきなのか、、、
なんとか言葉にしてみると、
私は自分自身の不満な部分を探し続けていたのだ。
なんてことないことまで引っ張り上げてきて、
それができていない自分に不平不満を言おうとしていた。
だがそれがことごとく失敗に終わる。
だから次々に何かを必死で探し続けていた。
なんなんだこれは?
自分の中の不思議な衝動にただなすがままにさせていると、
やがて一気に飛躍する。
私は自分自身を否定することによって、
この世界を維持させているんだ!!!
なんてこった。。。
その真実に唖然とする。
「自己肯定感が足りないから、自分を肯定しなさい」
なんていってる次元じゃなかった。
もともと私たちは全面的な自己否定によってこの世界を作り上げていたのだ。
その前夜、自分を愛する存在を見せてもらったそのあとで、
その真反対である、自分を嫌う衝動を見た。
これが自我の動き。
自分や神を愛していることを思い出すと、世界が消えてしまう。
なぜなら神を裏切った!という思いがこの世界を作り出したからだ。
私たちは神を裏切ったという途方も無い罪悪感からこの世界を作り、そしてその中に逃げ込んだ。
だから自分と神を嫌うことでこの世界が支えられている。
だからこそ、ずっと自分を否定し続けなければならないのだ。
それが自我の衝動。
ずっと自分や他人や社会や世界のすべてを否定し続ける。
その否定からくる「どうにかしなければ」という思いで世界をまた作り出す。
問題定義による世界の構築。
だが、なぜそこまでするのか?
簡単だ。そういう衝動を真に受けないと、すぐ神を思い出してしまうからだ!
私たちは自分で作ったこの世界を恨みながらも愛してやまない。
消えて欲しくない。
その思いが、心に浮かぶ自己否定を真に受け続ける。
だが本当は私たちは神や自分を激しく燃えるような衝動で愛している。
「自我の土台よりもさらに深いところにあって、
常にそれよりも強きものであり続けるのが、
神に対してあなたが抱いている激しく燃えるような愛であり、
神からあなたへの同様の愛である。
これがあなたが真に隠しておきたいものである。」
これを隠しておきたいがために、
私は自我の誘惑に耳を傾け続けてきたのだ!
ところでどんな自己否定?
甘いもの食べ過ぎた。。
朝ごはんちゃんと食べてない。。。
部屋が汚い。。。
あの言い方はまずかったかな。。。?
こんなしょうもないこと?
そうです。
そんな自我のつぶやきを真に受けないだけでいい。
それが愛を妨げる障壁なのです。



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