「やばい。何も稼いでないのに、またお金使ってしまった」
「ちっとも痩せない」
「人に悪口を言われているかもしれない」
「私はとんでもない間違いを犯しているのかもしれない」
私は恐れ(問題、罪)探しをしてきた。
恐れが見つかったら、それを赦し、聖霊に渡す。
ずっとやってきたが、その恐れはちっとも減らない。
それでもかなり恐れは減ってきた。
だけどそれでもまだまだある。。。。
ある時、いつものように手に持った恐れを渡そうとした時、疑問が湧いた。
「この恐れはなんでここにあるの?」
「あ。。。私が作ってたんだ!」
すでにそこにあるものを見つけていたんじゃなかったんだ。
そんなものは最初っからない。
あるように思っていたのは、実は自分が作り出していたのだ。
心は強力だ。常に何かを作り続けている。
その方向が間違っていた。
「あなたは自分で作り出したものを信じる」とコースはいう。
まさに、私は私が作り出したものを信じ切っていた。
自分で作り出すものは、神と正反対のものを作る。
それは神に対抗しているからだ。
だから愛とは真逆の恐れを作り続ける。
恐れは人を分離する。一人の人間という幻想を作り出す。
そして一人ぼっちになった人間という自分を必死で生かそうと試みる。
その原動力は恐れだ。恐れはさらなる恐れを生んで、地獄巡りになる。
「つくしよ。すべて小芝居だ」
声が聞こえた(よーなきがする笑)
どんな不幸もすべて小芝居だとしたら。。。
それがありありと見えた瞬間、ニヤッと笑った。
そんないきさつもあったことから、
恐れは全部自分が作り上げたものなのだと気づいたのかもしれない。
恐れの世界は実在しない。
愛だけが実在する。
ということは、恐れは私が作り上げた気になっているだけで、存在しないのだ。
神が創ったものだけが実在する。
では私が思いつく恐れ、罪、すべてがでっちあげの小芝居。
オロオロ、ビクビク、ああなるかも、こうなるかも、、、。
すべて私が作出した私の小芝居、これが今までの人生だったんだ。
恐れに対処するだけの人生。
そう気がついてから、「もう罪は作らない!」と固く心に決めた。
あれから何一つ問題が見つからない。
出会う人すべてが優しい。
心も静かだ。
恐れに包まれて、ヒリヒリして見えていた世界が、
見えているものは同じなのに、安堵してみていられる。
どんな不安定なものも、実在しないことを知り始める。
その慣れていない状態に、心が戸惑う。
「問題がないことが問題だ!!!」と(笑)
心は常に躍動的に何かを作り出している。
自分のでっち上げをやめた時、
神と共に創り出す。
愛が創造され、拡張されていく。
絵:ミステリー表紙イラスト
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