最近、コントロールってことについてホゲーっと思う。
コントロールって、実はできないんじゃないか?
そもそもコントロールできるはずだ!って思ってるから、なかなかコントロールできないことに苦悩しているんじゃないか?
何かに対して、これは良くないと思い、
誰かに対して、それは良くないと思い、
状況や人をコントロールしようとしてきた。
できたのか?
できなかった(笑)
その「できない私」は無能だ!と自分を呪い、踏ん張って踏ん張って踏ん張り続けて、
その結果、人はおろか、自分さえもコントロールできない始末(チーン)。
ある日、変な感覚になった。
それはノジマの店に、ポイント交換のお願いをしに行った時のことだ。
オーブンレンジを買おうと思ったが高いので、たまってたノジマのポイントと、ニフティのポイントを合算して安くゲットしようと目論んだ。
そのやり方がさっぱりわからない。お店のお姉さんに頼む。お姉さんはレジで一人。私を含め3人の客の対応に明け暮れている。みんな年寄り。みんな今のシステムに全く対応できない世代(笑)
その右往左往を見ながら、私はだんだんなんだか嬉しくなってきた。
先日もここに来て、ニフティのIDとパスワードがなくて、断念して帰ってきたから、今日こそはなんとかゲットしたいと思っていたが、途中から、別に今日合算できなくてもいいか、とか思い始めた。ゴールはここだ!ときめてかかっていたことが、どっちでもいいかーとか思い始めた。
するとお姉さんや他のお客さんたちが右往左往しているものが微笑ましく見えてきた。
イメージでいうと、教室の一番後ろの席で、先生と生徒のやりとりを楽しく見ている感じ。そこに私も参加しているんだが、その中にどっぷり浸かっていなかった。そして安堵の心持ちでそれを見ていたのだ。
ポイントが合算されてもされなくても、オーブンレンジを買えても買えなくても、みんな同じことに思えてきた。
高く買うより安く買う方がいい。
損するよりトクする方がいい。
その解釈が、コントロールしなければ!という思いとつながる。
この世界でどうにかして自分にとってより良いことを成し遂げなければと信じている。
今よりもっといい生活を、今よりもっと幸せに。そのためにはあれやってこれやって、と、コントロールすることが前提になっている。
でもノジマにいたその時、私の中でコントロールが消えていた。
何かをしてゲットして幸せを得ると言う今までの方法論がひっくり返って、何もしないままでも幸せでいることができるんだと。
そもそものコントロールが不幸の種だった。
きっと起こることは起こるだろう。それでいーのだ。
教室の後ろの席で、
志村けんのドタバタ劇を楽しげに見ているだけでよかったんだな。
なんか気楽になった。
「いや。まずい。それだとダメだ。」
と後悔を迫ってくる言葉さえも、志村けんのセリフに聞こえてくる。
テレビの前で彼らのセリフを間に受ける人はいない。
あえてコントロールすることといえば、
外をどうにかしてコントロールするのではなく、
心の中でどっちを選ぶか。
自我の思考システムを選ぶか。
聖霊の思考システムを選ぶか。
真実は実にシンプルだなあ。
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