久しぶりに映画に感動した。
「サウンド・オブ・メタル」
今年のアカデミー賞の作品賞は「ノマドランド」。
この「サウンド・オブ・メタル」は、そのうちの編集賞と音響賞を取った。
時代とともに、今ある価値観を違う視点から見る映画が賞を取り始めている。
作品賞をとった「ノマドランド」の監督が、
その前にとった「ザ・ライダー」が良かった。
本当のカウボーイが、彼自身を演じている。
うつむき加減の表情が、見るものをぐっと引き寄せる。
素人とは思えない味わい深く美しい顔。マジックアワーの中で馬を走らせる彼の姿が目に焼きつく。
「ノマドランド」も「ザ・ライダー」も、映画の終わりに答えを含ませない。
どこに向かうのかわからない終わり方だ。
でも考えてみたら、私たちの日常もまた答えなどない。
一瞬あったかのように見えるものも、また次の瞬間その先にある「何か」の「答え」を探し続けていくのだ。
私の父もまた、その「答え」を見つけられずに逝った。
だからこそ、私たちは映画にその「答え」を求めずにはいられない。
そして映画はその求めに応じて、答えを示してくれてきた。
しかしこの映画たちは、私たちが求める答えを示しはしなかった。
だけど惹きつけられる。
これはリアルだ。実際私たちが直面しているものだ。だからこそ賞を取るのだろう。
「サウンド・オブ・メタル」は、ミュージシャンのドラマーが、次第に聴覚を失っていく話。
突きつけられる現実、それにあらがう主人公。
たくさんの苦悩のうちに、彼自身が気づいていったもの。。。
先の二作には答えが見出せないが、
この映画には、ある別の視点の答えを匂わせてくれた。
映画の中でのセリフ。
「ここのみんなは耳が聞こえないことを障害じゃないと思っている。直すようなものじゃない。」
音とは、心の中の声だ。
私たちは外の音を聞いていると思っているが、実は自分の中で鳴っている音を聞いている。
主人公が音から解放された時のあの顔は、まさに心の中の自我の声から解放された時の顔だ。
私が昔デスバレーで体験した音のない世界はそれだった。
全ての音から解放されることが、どれだけ心に平安をもたらすことか。
私たちの心を四六時中埋め尽くしている自我の声。
その声を本気で聞き、受け入れ、その声が誘導するままに人をさばき、自分をさばき、あてのない答えをもとめさまよう。その声が突然途切れた時、無限の静寂が訪れる。
彼の顔はその静寂がもたらす安堵を教えてくれている。
この映画は、欠点を欠点として受け入れるような話ではない。
全く違うものの見方があるという、新しい方向に心が解放される。
そんな映画だった。
この映画はアマゾンプライムでタダで見られる。
絵:「たこ杉」
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