2021年9月8日水曜日

「サウンド・オブ・メタル」

 



久しぶりに映画に感動した。

「サウンド・オブ・メタル」


今年のアカデミー賞の作品賞は「ノマドランド」。

この「サウンド・オブ・メタル」は、そのうちの編集賞と音響賞を取った。

時代とともに、今ある価値観を違う視点から見る映画が賞を取り始めている。


作品賞をとった「ノマドランド」の監督が、

その前にとった「ザ・ライダー」が良かった。


本当のカウボーイが、彼自身を演じている。

うつむき加減の表情が、見るものをぐっと引き寄せる。

素人とは思えない味わい深く美しい顔。マジックアワーの中で馬を走らせる彼の姿が目に焼きつく。


「ノマドランド」も「ザ・ライダー」も、映画の終わりに答えを含ませない。

どこに向かうのかわからない終わり方だ。


でも考えてみたら、私たちの日常もまた答えなどない。

一瞬あったかのように見えるものも、また次の瞬間その先にある「何か」の「答え」を探し続けていくのだ。

私の父もまた、その「答え」を見つけられずに逝った。



だからこそ、私たちは映画にその「答え」を求めずにはいられない。

そして映画はその求めに応じて、答えを示してくれてきた。


しかしこの映画たちは、私たちが求める答えを示しはしなかった。

だけど惹きつけられる。

これはリアルだ。実際私たちが直面しているものだ。だからこそ賞を取るのだろう。





「サウンド・オブ・メタル」は、ミュージシャンのドラマーが、次第に聴覚を失っていく話。


突きつけられる現実、それにあらがう主人公。

たくさんの苦悩のうちに、彼自身が気づいていったもの。。。


先の二作には答えが見出せないが、

この映画には、ある別の視点の答えを匂わせてくれた。


映画の中でのセリフ。

「ここのみんなは耳が聞こえないことを障害じゃないと思っている。直すようなものじゃない。」



音とは、心の中の声だ。

私たちは外の音を聞いていると思っているが、実は自分の中で鳴っている音を聞いている。


主人公が音から解放された時のあの顔は、まさに心の中の自我の声から解放された時の顔だ。


私が昔デスバレーで体験した音のない世界はそれだった。

全ての音から解放されることが、どれだけ心に平安をもたらすことか。


私たちの心を四六時中埋め尽くしている自我の声。

その声を本気で聞き、受け入れ、その声が誘導するままに人をさばき、自分をさばき、あてのない答えをもとめさまよう。その声が突然途切れた時、無限の静寂が訪れる。

彼の顔はその静寂がもたらす安堵を教えてくれている。



この映画は、欠点を欠点として受け入れるような話ではない。


全く違うものの見方があるという、新しい方向に心が解放される。

そんな映画だった。


この映画はアマゾンプライムでタダで見られる。



絵:「たこ杉」


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