2014年8月24日日曜日

ホントの自分ってなんよ?



ある映画を見た。
なにやってもだめで、上司にはペコペコする、お先真っ暗な人生をただ生きている主人公。その主人公がある日、知らないおじさんから、
「君は偉大な人物の息子だ。」と言われる。

「君はその彼の偉大な血を引き継いでいるのだ。その能力を発揮したまえ。」
といわれて、
「え~、そんなのありえねー」
と疑っていたが、そのお父さんの莫大な遺産が自分の銀行口座に振り込まれているのを知って、いきなりその気になる。その瞬間から主人公は人が変わったよーになって、上司をおもいっきり罵倒し、会社を飛び出す。

それからそのおじさんに与えられるきょーれつな訓練を耐え忍び、ついにおとーさんに勝るとも劣らぬ能力を身につける。
ところがその後、そのおとーさんは、ホントのおとーさんではなく、「敵」とされていた人がホントのおとーさんだったことを知る。
するとまた同じよーに「ホントのおとーさん」をおっかけて、主人公は新たなおとーさんを目指すのだ。

これはアクション映画のようだが、みかたによっちゃあコメディにみえる。

あるビンボーな家に育った男の子が、ある日知らないおじさんに、
「君は西の国の果てにある王国の王子だ。戦があってその難を逃れるために君はこの辺境の地に隠された。さあ、王子よ。ほんとうの姿に戻りなさい」
と言われて、その気になっちゃうシンデレラ物語のよーなもんだ。

だけどその後、コロコロと
「いや、君はほんとうは敵国の王子だ」とか
「いやじつは、アンロドメダ星雲のウチュー人だ」とかいわれて、
そのつどぱたぱたとその性格を変えていく。。。
と、するなら、、、

おいっ、君に自分はないのか?

と、つっこみたくなるではないか。

やまんばも学校でいじめられて、
「ああ、わたしはほんとうはこんな人生を送る人じゃなかったらどんなにいいか。。」
と、シンデレラ姫を自分に当てはめてうるうるしたもんだ。


だけどほんとうはどうなんだろう。
ほんとうの自分っているんだろうか。

私たちは過去の記憶で自分はこれこれこういう性格でこういうニンゲンだと思い込んでいる。
しかしある日とつぜん知らないおじさんに「きみは○○だ」といわれて、もしそれがものすごーく信憑性をもっていたとするなら、その映画の主人公のよーに、その気になっちゃはないか?
するとこれこれこーゆー性格だったはずの「自分」は、いきなり消えてなくなるってことだ。
過去はいとも簡単に、あーらよっと消えてなくなるってことだ。

ある多重人格の人が、その人格を変えた瞬間、目の色が変わるって話を読んだことがある。わしらは過去の記憶にもとづいて「自分」ってものを「確定」しているだけなんではないか?その過去は、いかようにでも取り外しがきいて、ひょっとしたら取り付けも簡単だったりして。。。

「あれ?あたしってこんな性格もってたんだ」って気がつくことってない?
それまでこういうニンゲンだと思ってたことが、「なんだ、そうでもなかったみたい」って気がついたときって、何か新たな自分を見つけてワクッとしない?

わしらは個人個人もっている過去の一部だけをとらえてこれが自分だと思い込んでいる可能性がある。だけどあなたの過去はその「一部」だけじゃないのだ。もっと多くの過去をもっている。その過去のどの部分を選ぶかで性格は変わってくる。

「あたしは人にきらわれるタイプなの」
と思っている人もその過去にみんなと和気あいあいとやっていたこともあるはずだ。どの自分の過去を選択するかで自分の性格や人生を自分できめているだけなのだ。

ほんとはどんな性格にもどんな人物にもいかようにでも「選択」できるとしたら。それは何も「知らないおじさん」にある日とつぜん告白されなくても、自分で変えられるとしたら。

ほんとうは、わしらは、誰でもなく、なんにでも変化できる存在だったりしてね。
あとはどの「自分」になるかを選ぶだけだったりして。




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