2012年8月22日水曜日

思考万能主義でいいのかい?

最近、近所に頭のおかしい人々が増えた。いや前からいたんだけど、ますます症状が悪化してきた。
そういう彼らを見ると、自分という殻の中にかんぜんに入り込んでいるのがわかる。彼らが考える彼らの思考の中で世界が回っている。
あれはいけない。
こうしなければいけない。
そうでなければゆるせない。
だから断固抗議する。
それは誰かに向かっていることもあるだろうし、自分自身に向けていることもある。そうしてその自分が作った牢獄の中でがんじがらめになってもがいている。

昔シュタイナーの本を読んでいた頃、未来には頭のおかしなやつが増えると予言していたのを読んだが(1990年頃かなあ)、まさにそうなっている。読んだ時はまさかねえ〜とおもっていたが、まさにそうなってきた。

その元になるのは思考だ。思考なくして、普通の人が頭がおかしくはならない。
昨日も書いたけど、思考が人をがんじがらめにする、そう書くと
「ほんなら、思考したらいかんがかえ、なんちゃあ考えんと、あほになれってゆうがかよ」
と、おこられそーであるが、そうではない。
思考は万能ではないのだ。思考さえすれば世の中がよくなっていくわけじゃないんじゃないか?

思考は言葉だ。言葉はコンビニエンスでいい面もあるが、反面分裂や批判や葛藤を呼び起こす。あなたとわたしというふうに、わけることをする。いいこととわるいことというふうに二元論化する。
思考はそれさえ使えば解決する道具ではないようだ。だってやまんばにとって、石けんいらなかったじゃん。たぶん石けんなし生活している人は、それに気がついてるじゃん。

人々は、あらゆることに思考を使っている。しかしその思考万能主義が、あらゆる矛盾を作っている。それが今の世の中じゃないか?
その矛盾への葛藤が、まるでコップ一杯にたまった水がコップのフチから溢れ出てくるように、葛藤が爆発的に溢れ出ているのが、まさに今の状態なんじゃないだろうか。

思考を使って使って使いまくって、ますます葛藤を大きくする。あれじゃない、これでもないと、四苦八苦する。毒を取らないといけないのだ、毒さえとれれば自分は元気になるのだ、あれさえなければ自分は幸せになるのだ、なのに全然とれない。とっても取ってもまたでて来る。。。。んで、自分の身は自分で守らないといけないという切迫感も極度に達したりする。

それは自分の思考に絡まれているだけなのだ。こうでなければいけないと思い込んでいるだけなのだ。本当は毒なんかないかもしれないじゃないか。自分にわるいことするやつは本当はいないかもしれないじゃないか。自分で思い込んでいるだけなのかもしれないじゃないか。全ては思考じゃないか。

このまま思い込みが深くなると、自分で自分の牢獄からぬけだせなくなる人がもっと増えるんじゃないだろうか。

やまんばは、思考っちゅうやつはどうも限界があるように思えるよ。思考って言葉だろ?言葉ってすでに過去のもんだろ?過去のものを使って未来を解決できるんだろうか?今まで2000年もの間、ものすごーいたくさんのあったまいいー人たちが、思考を使ってこの世を作ってきたんだぜ。んで、その結果がこれよ。これからウーーーーンと思考を使ってさあ、(2000年間考え続けた以上にだよ)輝ける未来って作れるんかいな。んーなわけねえだろ?っておもうわけさ。

今、頭がおかしい人が増えているのは、そういう思考の限界を知って「思考という道具をうまく使いこなせ」というどっかからのメッセージなのかもしれんなあ、とふとどきもののやまんばは思うわけよ。

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