2012年5月2日水曜日
風邪ひいた〜
久しぶりに風邪を引いた。
キホン、バカは風邪引かないはずなので、びっくらこいた。
一日ホゲーッと寝てた。ときどき土砂降りの音で目をさます。カーテンを開け放ち、緑舞い狂う風景をバックに大粒の雨を眺める。うつくしいなあ。
なんで風邪引いたんだろ。
実は前の晩、自分の思考のクセにオモイックソ気がつかされた。
がくぜんとする。腰砕けになる。
自分をけなす思考は、あらゆるシワのシワの奥の奥までひそんでいた。自己嫌悪、自己非難、罪悪感。つねにそれで自分をおし量り、それをすることによって、自分はここにいていいのだと言う、かってな自己確認をしていたのだ。
これは間違いなく、小さい時からの親のしつけや学校でのいじめから、自動的に理想の姿はこれこれこういうものであって、今の自分はだめなんだという思い込みから来ている。だからつねに自分をさばく行為をしているのだ。
まさかここまでとは。。。というおもいで、眠れなくなった。
悶々とするおもいで夜中に目をさます。カジカが鳴いている。窓を開けてじーっとカジカの声に耳をすます。全身でカジカの声を聞いていた。。。
悶々とする。。。
ほら、またでた。これも自分をさばく気持ちから来ている。
「罪悪感を持つ。。そんなことじゃイケナイじゃないか」
というおもいもまた、自己嫌悪ではないか。あわわ。これが思考の罠だ。そうやって心はつねにクルクルとかたちを変えて、思考の罠にはめていこうとする。思考さんがおいでおいでをする。
罪悪感をもつことはわるいことではない。「あっ、これいけなかったんだ」と気がつき、どこがわるいのか理解をして、次回からそれを繰り返さないために必要なものだ。だが、この自分がやった行為を真正面から観る、という行為がこりゃまた苦しいのだ。なかなか心が逃げずに、やった行為をきっちり観るってきついとおもわない?
するとそこへ思考さんが登場する。思考は、本人がそれを直視できないもんだから、ちょっと視点をずらして、罪悪感や自己嫌悪をもつというおもいだけをくりかえしてあそぶ、というへんなことをするのだ。(問題は罪悪感でも自己嫌悪でもなく、やった行為のことなのに)
なんでや?
それは思考さんが「ここにいるわたしをわすれないで〜」と、言って来るからだ。そじゃないと思考さんは自分のいる場所が見つけられないのだ。(ホント言うと、そんな場所いらないんだけど)
だがそれにつられてなんどもやるというのは、何の意味も持たないのだ。その行為は、「誠実ないい人間だ」とおもいがちだけど、じつは「罪悪感もつあたしってえらいでしょ?ね?だからあたし、この世にいていいんだよね?」と自分で自分に確認をとっているだけなのだ。要するに自分に言い訳を繰り返しているだけの行為になってしまっているのだ。だけど聞いてる本人が、つねに罪悪感や自己嫌悪をもっているのだ。だから今までもこれからも「うん、いていいよ」とは一生言ってはくれないのだ〜。が〜ん。
熱出そうでしょ?
え?でない?
絵:MF新書表紙『武士マニュアル』
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2 件のコメント:
人間、忘れる。っていう能力があるから、生きてけるんだよね。オイラなんか、忘れて忘れて忘れまくってるからねぇ!!だから滅多に風邪ひかない。
自慢??
いーえ戯言でした・・・。orz
いや、忘れることはすごい能力なのだ。
忘れることはホントーーーーに大事なことなのだあ!
昨日に死ぬってことなんだ。
今を生きるってことなんだ。
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