先日書いた、でくのぼうの巨人は、宗教的にいうと、真我、無我。すぴりちゅある的にいうと、大いなる存在、ハイヤーセルフ。今風にいうと、つながっているモノ、なあんじゃなかろーか。
するってえと、小うるさいちっちゃな女の子は、自我、エゴ、じこちゅー。おやぶんのようにいばりたいやつ。しったかぶりをしたいやつ。そうかと思うと、自分に自信がない。あげくにビクビクする。何かあるとおおさわぎする。比較し、分析し、自分と他人、正しい、正しくない、と二元論をぶちかましたがるやつ。そんする、とくすると、値踏みするやつ。伝統をおもんじるやつ。テレビのいう事を真に受けるやつ。
私が生まれたときは存在していなかったが、少し大きくなると、気がつかないうちにそいつは出現していた。用もないのになんだかんだと耳元でしゃべる。たいていは母ちゃんやとーちゃんから聞きかじった事をおうむ返しのように言っているだけだ。
だけど巨人はそいつのいうことを
「ウンウン、君の言うとおりだねえ」
と感心する。すると、
「でしょ?でしょ?だからあたしが言ったじゃないのー!これからはあたしのいう事をよーく聞くのよ!」
と、あるときから位置関係が決まった。
巨人が春うららな野原を歩いている。きれいな黄色い花を見つける。「あ、きれいだなあ」とそっと近づく。すると、肩に乗った女の子が
「だめ!きたないでしょ。ばいきんがうつったらどーするの!」
(どっかで聞いた事のあるフレーズ。。。かあちゃんだ。。。)
空がきれいでぼーっとながめる。
「こらあ、ぼーっとするな!しゃんしゃんしろ!」
(これはとーちゃんのフレーズだ)
そうかとおもうと、
「かすてらいちばん、でんわはにばん、さんじのおやつはぶんめーどー」
と歌いだす。するとそれにあわせて、巨人も踊りだす。
だんだん巨人は、その小さな女の子と自分を同一化する。女の子は自分なんだと思い始める。その子が怒ると巨人も怒る。その子が泣くと巨人も泣く。その子は泣いたり笑ったりいつも感情的だから巨人も一緒になって感情的になる。
気がつけば、いつもその子に振り回されている事に気がつく。
あるとき、あまりのことに「ちょっとそれはないだろう?」というと、
「何よ!あたしに向かってはむかう気?だいたい今まで誰があんたの面倒見てきてあげたとおもっているのよ!ここまでこれたのはいったいだれのおかげ?あんたなんか、ひとりでは、なーーーんにもできないくせに!あたしに意見いうなんて、100年早いわよ!」
とくる。
ちょっといえば、100倍になって帰って来る。巨人はなにもいえなかった。
しかし考えてみれば、彼女の意見は、いつもどこかで聞いたフレーズだ。そのアイディアは過去に聞いた事のあるアイディアだ。日々起こる事は新しい。だがそれを解決する方法はいつも過去の方法論だ。確かにそれで切り抜けられてきた。それはそれでいいことではある。。
だが、、、
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