何の非難もせず、ただ見て欲しい。
「これはいけないんだ」とか、「あいつの方がまちがっている」とか、「あの場合はこうするしかなかったんだ」とかの言い訳や攻撃をしばし横にどけておいて、静かに自分を見て欲しい。逃げたくなる思いをじっとこらえて、「私は逃げない。」といい聞かせながら、自分と対峙して欲しい。その時何かが起る。
お化けと一緒で、「こわいこわい」と後ろを向いている限り、恐怖は決して消えない。ますます巨大化する。しかし勇気を振り絞って自分を真正面から見ると、「なんだ、こんなもんか」とわかる。お化けも実際見るとこわくもなんともないのだそうだ。ダンナいわく。(え?それってホラー映画が成り立たねえじゃねえか!)
それがね、たいした自分じゃないのよ。笑っちゃうくらいちっこい。
現代の人はみんなそうなんだけど、心が不安定になっている人はとくに、自分が肥大化している。自分という意識が巨大になっている。精神的に不安定な人は、顔が無表情になる。まわりの状況に反応しないようにしている。反応したら自分の心が大きく揺さぶられるからだ。まわりを見ないように影響を受けないようにと気を配るのだ。自分を守るための手段なのだ。だが本当はほんの小さなことでも鋭敏に反応しているが、それに振り回されないようにしている。
高校時代、試験の当日、寝ないで覚えた英語の単語。頭を揺らさないようにした覚えのある人、手を挙げて。ほら、そんな人なら分る。ソロ〜っと歩く。頭ふっちゃったら寝ないで覚えた単語がぼろぼろ落ちてしまう!とやった覚えのある人なら分る。(意味が分からん)
自分という手に負えない恐怖のモンスターが後ろに控えていて、いつでも暴れる準備をして待っている。だからこうしてまわりに反応しないようにしている。
だが頭の中は巨大な嵐の中で一人翻弄されている。
イケテナイ自分、こうあるべき自分、理想の姿と自分とのギャップ。そしてそれを指摘した人への怒り、自分の正当化。
あのときはしかたなかったんだ、あいつこそそんなこと言えるほどえらいんかよ、だいたいおれのなにがわかる、許せねえ、絶対許せねえ!おれのことはおれがいちばんわかっている!。。。いや本当は何も分っちゃいないじゃないか。。。だからあんなこと平気でできたんだ。。。ああ、オレ、なんてバカだ。。。こんなオレ、どうしたらいいんだ。。。まわりに迷惑かけてばっかりだ。。こんなオレ、いなくなればいいんだ。。。
元々、彼の心の中には、「こうあるべき」という理想の姿がある。小さいときから二宮金次郎のように勤勉であれ、宮沢賢治のようにやさしくあれ、ガンジーのように非暴力であれ、と叩き込まれている。(別にほかの人物でもいいが)それと自分とを比べているだけなのだ。こうあるべきという条件づけされた心が、勝手に作動しているだけなのだ。このブログで何度も言ってるけど、そもそも自分でもない人のマネをしろ、ということがおかしい。なのに勝手にそれと比べて、それができない自分をなじる。おかしくねえか?
じゃあそれを指摘した上司を怒れというのか?と言っているのではない。上司も同じように「人としてこうあれ」と教えられて葛藤しているのだ。
人を見るのではない。外を見るのではない。今悩んでいる自分自身だけを見るのだ。この問題は人のせいではない。自分の中にある葛藤が起こさせている問題なのだ。だから自分だけを。自分の中にある葛藤を見る。静かな心で葛藤している自分をただ見る。
2 件のコメント:
良く判んないけどぉ・・・子供のときの悩み。
おいらが見ている(例えば)赤と、みんなが見ている赤って、同じなのか???
おいらが鏡でみている、おいらの顔って、みんなが見ているおいらなのか?声は??
俺だけ違うものを見ているんじゃないの?みんなそれぞれ違うように、見えてるんじゃないのか?
んで、疲れて眠って、忘れてました、今まで・・・(笑)
適切なコメントになってるかは???ですじゃ・・
うわ。すごいこと思い出したね。
そう。すべてが固定的ではないのだ。絶対的な赤も、音も、自分の目で見ているこの世界も、すべてみんなと同じものとは誰も証明できない。
すべては主観で見ている。
およそこの世に客観視できるものなど、ほんとはないのかもしれないね。
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