心はいつも何かにすがっている。
静かなところにじっと座って自分の心を観察してみるとおもしろい。目の前にあるものを見て、「あら、緑がきれい」というかもしれないし、「あ、洗濯物取り込まないと」と思うかもしれないし、「げ、ぼーっとしていると部長にさぼっていると思われる」と思うかもしれない。そしてほとんどそれをきっかけに自動的にその先に展開していく。またはその目の前のものに飽きて、自分がマイブームしている心配事に移っていく。
そう、ほとんど止まらないで思考している自分に気がつくのだ。それは朝起きた瞬間から作動し始める。よく観察して欲しい。その朝から自動的に喋り始める心の中の言葉に、パターンはないか?同じ言葉を喋っていなくてもいい。そのいくつかの言葉ににたようなニュアンスが含まれていないか?
それはたいてい否定的な言葉じゃないか?
「ああ、いいお天気!しあわせ!」
というパターンで毎日起きて来る人は本当に幸せな人だ。
しかしどっちかっちゅーと、
「ああ、はやく起きないと。。。身体がだるい。。。ああ、しんどい。。」とか
「やばい。おくれる!」とかの人が多いような気がするが。。。?
電車に乗っても言葉は続いていく。ぶつぶつぶつ。。。あの満員電車の中で、ひとりひとりの心の中が爆走している。そこに人の心の言葉が聞こえる人がいたら、卒倒するだろう。
私たちの心の中は言葉自動発令機なのだ。
それは小さいときから「考えろ」と言われて来たからなのか、「努力しろ」と言われて来たからなのか、「一所懸命生きないといけない」と思っているからなのか、とにかく、私たちは、何か考えないといけない、そうするとうまい考えがでてくる。「ぼーっ」としているとろくな事にならない、と信じて疑わないようなのだ。だから考える。
ところが、私たちはそうそう毎日はまったく新しい事柄を考えだせない。自販機にはそうそう新しいドリンクは入っていない。お決まりのドリンク類の中で、お決まりの好みで、
「う〜ん。やっぱりBOSSにしよ」とかいって、選択するのだ。
それと同じように(どこが同じなのだ?)、考えも自動的に新しいものは浮かばない。自動的に発令するものは、同じ事柄だ。ためしに意識的に新しいことを考えようとしてみる。たいていどこかで自分が聞いたような言葉しか浮かばない。
ということは、自分の常日頃考えていることは、自分流のパターンをもっているのだ。
そのパターンの中で、以前と似たような状況にあるとき、前と同じ反応をし、同じ感情を呼び起こし、同じようにそれについて思考する。(思いっきりパターン化しているじゃねえか!)
私の場合はこうだ。
自分が何かとんでもない失敗をしでかしているんじゃないか?という思いで、常に自分の失敗を探しているのだ。(なんじゃそりゃ。)
だからいつも自分を見張っている。
「こいつ、ほっといたらろくなことしねえ。あたしがちゃんとみはってやる」
という存在を作って、24時間態勢で監視していたのだ。
これは私の小さい時にその起源をさかのぼる(大仰ないいまわしだな)。
つづく。(まだ続くんかい!)
2 件のコメント:
ふふふ・・なんか俺失敗したな・・って思えるときのほうが安心感を感じることはあります。安心と幸せはちょっと違うけど・・。
おーっ、変態がここにもいた。
コメントを投稿