2011年11月14日月曜日

左の脳

私たちは、小さいときから「何かしなければいけない」と教わって来た。ぼーっとするな、考えろ、と。だが、ぼーっとするのは、子供の特権だ。あのぼーっとしている時間が、大きなカギを握っている。私も授業中よく怒られた。「ぼーっとするな!」

しかしそのボーッの中では、すごいことが展開している。あらゆるものの中に浸透していく貴重な瞬間なのだ。いわば、あなたと私という区別も、木と自分という区別も犬と私という区別も曖昧で、なんとも言えない幸福感に満ちたあの時間。。。それが、はたからみていると、ぼーっとしているようにみえるのだ。

脳科学者ジルテイラー博士が、脳梗塞によって左の脳が全く機能しなくなり、右脳だけで味わった感覚を話している。彼女は左の脳と右の脳の機能の違いをはっきりと自覚したようだ。右脳は、言葉というものをなくし、自分と世界との区別が全くなくなり、自然の世界が手に取るように身近に感じ、前向きで平和で、穏やかで、ものすごい静けさの中にある、いわば涅槃のような境地になったと。ところが、左の脳が機能し始めた途端、言葉がやって来て、自分というものがほかのものとはっきりと分断されてしまい、ぐるぐるとうるさい思考が動きだし、その思考のほとんどが否定的であったと。そしてその否定的な思考は強烈な痛みを伴う。。。と。

まさに「ぼーっとする」ことは、右脳を使っている状態じゃないだろうか。いや、左の脳が停止している状態。。。といおうか。
だが今の私たちの心は「あれしなければいけない、こうしなければいけない、あれじゃだめ、これもだめ」言葉、言葉、言葉。。
私たち現代人の頭の中は、言葉で埋め尽くされている。左の脳ばかりでものを考えるようになってしまった。あの、自他一体となるような感覚、穏やかで静寂の中にある右の脳は今、ほとんど使われていない。

その静寂。。その静寂の中に牢獄から脱出する答えがある。瞑想とはそれを伝える手段だった。ところが、思考は考えないようにしようとすればするほど、ますます考え始める。止めようとすればするほど止まらない。煩悩を止めようとすればするほど大きくなるのだ。

「考えるな、感じろ」という。
「考えるな、考えるな」と唱えろという。
しかしこれでは考えることを止めようとしたり、「考えるな」とただ呪文のように唱えるだけで、心がそれにすがりついているだけのことになる。これでは、自動的に考えてしまうことと同じである。

そうではないのだ。その考えていることじたいにメスを入れる。自分がいったい何を考えているのかをさぐる。自分が何に反応しているのか、それによってどうゆう感情が引き起こされているのかを知る。それが思考の自動発令、止めどもなく続いていく思考を静寂の世界に連れて行くのだ。

つづく。

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