2011年11月2日水曜日
秋の畑
秋に入った畑の様子。
うちで種取りした源助大根三世、ほとんど雑草化。あっちゃこっちゃの畝間の道、かったい地面にもかかわらず、どんどんでかくなる(蒔いた記憶なし)。
フェンスの向こう側の単なる山の原っぱ。イノちゃんに耕耘されて平になったところにばんばん出て来る。
ぐほほ。来年も種とって、お墓のまわりにも種蒔いちまおうか(ウチの大根、墓場で育ちました、とかいうのか?)。ついでに山の斜面にも蒔いちまおうか。ついでにとなりの使われていない畑にも知らん顔して蒔いちまおうか(こらー)。
メヒシバを刈って、畝にすき込んだところと、疲れ果ててそのまま自然農(つまり草刈って、そのまま畝の上に置いただけ)で、蒔いた三浦大根の種。その差がどんどん大きくなる。草をすき込んだ方(たんじゅん農法の畝)の方が、がぜん成長が早い。同じ方法でやった源助大根三世も、いつの間にか上の葉だけでなく大根も大きく育っている。いつもより成長が早い気がする。
その大根の足もとに、タアサイの苗を見つける。今年蒔いた覚えはない。去年蒔いた時の、芽がでなかった種からなのだろう。今年蒔いたタアサイの苗より大きいじゃないか。つまりいいタイミングで、芽が勝手にでてくれたって事か。なんだ。やまんばが蒔くより自然に任せた方がいいってことかい。
高知の友だちからもらった落花生の種。
途中までは草刈りして順調だったが、夏、草の勢いに負けた。ちょっとよそ見しているあいだに、あっという間に雑草に被われてしまった。草の下の方にはオレンジ色の花が。。。ああ、もう草動かせない。。なのでそのまま放置する。ごめーん。メヒシバに被われたまま枯れるに任せた。
先日引っこ抜いてみる。なさけなーい数の落花生がぽちょぽちょとついている。プチプチちぎっていると、すでに芽がで始めている落花生を発見!あのかったいかったい殻を破って二世が誕生しようとしていた。すごい。自然はどんなに力強いんや。
キャベツの畝からにょきっと出て来るジャガイモの芽、タマネギの畝から顔を出す壬生菜、ほうれん草の畝から信州高菜の紫色の苗、小松菜の足下に出て来る白菜、三浦大根の畝からででるサツマイモの芽。。。みんな植えた覚えがない。み~んな一年前にまいた種などだ。(記憶にないのもあるけど)
答えはそこにある。
たんじゅん農法は自然農と違って科学的な説明をする。だからなおさら頭でっかちになりやすい。剪定チップは発酵させた方がいいか、させないでいれた方がいいか、それはどのくらい入れるのか、どのくらいの厚さを上に置くのか、炭素素材はどれがいいのか、などなど。だけど主役になる微生物は、とてつもない種類があり、今の生物学ではまだ研究の対象にもなっていない状態だ。だから誰もその土の中身を知りようがないのだ。多分これからも人間には知りきれないだろう。それくらいものすごい種類の生き物がいる。私たちは未知の領域で生きているのだ。知っているつもりで、誰も知らないのだ。
だからこそ、自分の畑は自分で見なくてはいけない。畑はその人がそのまま現れている。林さんも言った。「畑を見ればその人がわかる」
これは自分自身を見る事とまるで同じ事だ。畑を見る行為は、すなわち自分自身を見る事と同じ事なのだ。
「これはどうなの?どうすればいいの?」
と、外の人に聞いても、その外の人は自分の畑を基準にしてものを言う。聞いた人には、それはヒントにはなるけれど、答えにはならない。
自分自身の事だって、
「わたしはどうなの?どうすればいい?」
と聞くと、他人は自分自身を基準にして言うから、聞いた人の答えにはならない。二宮金次郎さんの行いは、彼にしかできない。他人をまねる事は、必然的にそこに葛藤を生み出す。
同じ畑や同じ性質の人間を捜して答えをもらって来ようとしても外に答えはない。
答えはここにある。自分の畑の中にある。自分のその心の中にある。
絵:「恋するオスが進化する」メディアファクトリー新書でたよ〜。おもしろいです。
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3 件のコメント:
そうか!だから進化しないんだぁ!!(笑)
失礼。本文に反応せずに、「「恋するオスが進化する」メディアファクトリー新書でたよ〜。おもしろいです。」
にだけ反応してしまいました・・・。
しかし、自然の野菜は味濃いいよね。
それは、世話してる方の人間性だよね!!
私が、相当手伝ったら、味薄くなっちゃったかも(笑)・・。結果オーライ??
じーっと考えて、「あ、新書のことね」と気がつきました。
源助大根、できつつあるよ〜。
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