2010年12月9日木曜日
いいことをするって?
やまんばはよくパンを焼いては近所の友だちのうちにもっていき、野菜がとれてはまたまた近所の友だちにもっていく。友だちは内心ありがた迷惑なのかもしれんが、その行為は一見いい人にみえる。そうはみえても要するに、やまんばはいい人に見られて、いい気分になりたいという勝手な欲望なだけなのだ。
いいことをすると、たいていほめられる。人は他人によろこばれたり、ほめてもらうとうれしくなる。これがけっこうヤミツキになる。だからなんか作っちゃあ、人の迷惑顧みず、今日も持っていってしまうのだ。
ところがもっていっても期待するほどに喜んでくれなかったりすることもある。向こうにだって事情がある。「げ。まずいもん、またくれやがった」と思うかもしれんし、虫の居所が悪くて愛想がふれなかったりするかもしれん。だがやまんばはそんな事情も顧みず、「反応がない!」などと怒ったりする。こっちが勝手にもっていっているだけのことなのに、相手の反応次第でムカついたりする。
よく考えてみりゃ、喜んでくれることを期待するあたりが、すでにやまんばの勝手な考えなのだ。
つまり、いーことをする=自分が喜ぶ。ということだけなのだ。
そのことをおもいっきり自覚しておいた方が、あとあと人間関係がうまくいく(と、ふんでいる)。
その自覚がないと、知らない間に「いいことしている」が、「してやっている」と変化する。すると、「こんだけやってあげているのに、その態度はなんだ?」となる。これはもう完全に上から目線である。自分で好き勝手に「いい気分になれること」しているだけなのに、いい気分になれることを自分で忘れてしまうと、その行為は「大きなお世話」になる。やってくれとは頼んでないのに、勝手に怒られるのだ。他人にとっちゃえらい迷惑だ。
いいことしている→いい気分→自分で楽しんでやっているんだなあという自覚がある。
は、そりゃそれで「まあ、すきでやっているからいいか」と他人様から勘弁してもらえる。
しかし、その行為の中に、自分「が」楽しんでいるんだという自覚がないと、やっかいである。
いいことしている→してやっている→反応がない→こんだけやってやっているのに、それはどういうことだ?→知らない間に相手の上に立っている→態度に表れる→そのうちこじれる。
こういう変なぎくしゃくは、日常茶飯事なんだろう。自分のダンナにもやっているし、子供にもやっている。ついでに近所の町内会でもやっているし、ボランティアでもやっている。政治家もやっているし、企業でもやっているし、国家間でもやっている(これは思いっきり打算が入るが。あれ?でもやっぱ、全部に言えることか)。
いい事する人はいい人。という単純な構造ではない。そこにはふくざつ~な、打算や虚栄心や自己満足や不安からの逃避や、その他諸々のおっそろしくからみあった心理が入り乱れておる。げげげ〜。
自分がやる行為は「あたしが好きでやっている」と、いつも意識していることにかぎるとおもうやまんばであった。だから近所のみんな、ゆるしてね。
絵:「小山ダンススタジオ」のための絵
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2 件のコメント:
いつもありがとう!!
つくし便いつも楽しみにしてます!!
これからもよろしくね。
良いことするのと、自己満足の区別はむずかしい。今度上の子がいるときに話題振ってくれたら反応するかも・・。
やまんばのすきで勝手にやっていることだから、気にしないでね。
こちらこそよろしくね。
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